タモの灯火 〜二〜 |
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旧暦1562年春。オオコシ領七番国──
七番国の住民達も、ようやく統治者の交代に慣れ始めていた。 「裏切り者」「信用の置けない男」「反乱分子」──様々な憶測が飛び交う中で、ケッタの支持率は意外な上昇を見せた。統治者として自分の持つ最良の手腕を用いて内政、外交を共に充実させ、国力の増加に努めたのが彼の人気を高めた要因の一つである。といって、彼は内政、外交ともに深く関わったわけではなかった。軍事行動以外のことは、有能な官吏に任せている。 そして、その有能な官吏はほとんどが無名であった。 ケッタは、灰の山から一粒の宝石を探し出すような鋭利な目で、彼らを見つけ出したのである。それらの有能な官吏は、ケッタに恩義を感じ、実に良く働いた。七番国の財布の紐を預かる官吏、ショウタクは農民の出であるが、どこに金を使い、どの出費を抑えるかを良く知っている男だった。外交のナガヤマは、七番国の腐敗した政治の犠牲者──若くて実力もあるが故に、権力を振りかざす以外に能のない官吏に虐げられるという犠牲──だったが、ケッタの急な抜擢により、一気に外交の重要な責務を任されるようになった。彼らはほんの一例である。「やる気と実力のある者は重い責務を苦としない」それはケッタの経験論だった。 勿論、権力を私物化した官吏たちは、突然権力を奪い取られて、路頭に迷うしかなかった。彼らには十分な蓄えがあるから、路頭に迷っても死ぬことはないのだが、そのほとんどはケッタに対して恨みを持ち、反抗の牙を剥いた。 しかし、玩具を奪われて泣き叫ぶ幼児のような犯行は、ケッタにとって実に好都合だった。自らの制定した「決まり」を盾に彼らを叩き潰し、圧倒的な軍事力の差を見せ付けたのである。いずれの内紛でも、先頭に立ってその実力を見せ付けたのはケッタだった。オオコシ軍兵士達は、またとない豪傑の姿を見て、畏敬の念を抱いた──こうして、軍の反乱は押さえつけられたのである。 こうして、民衆の間には「新支配者ケッタ」を歓迎する気風が漂い始めた。懐疑的な視線は徐々に柔らかいものとなり、徐々にではあるが、彼の運び込んだ新しい風は、オオコシ領に優しく流れ始めた。勿論、官吏を追われた者達や、最後まで懐疑的な者達は、ケッタのことを最後まで信用しなかったのだが……。 そんな、新しい季節に向けて、そろそろマサシでも討伐しようかという気運の高まり始めたころである。 七番国を揺るがす大事件が発生した。 旧暦1562年四月二二日。野盗襲来。
四月二二日、午後六時。 全身に疲労が染み渡るのを感じながら、コウランは自室の床にへたり込んだ。朝から晩まで続く特別な稽古は、まだ十歳にも満たない身には辛いものがあった。無論、大人の兵士と同じような訓練をするわけではなく、武術の「型」や心構えを身に着けている段階である。 彼女は「ケッタの子」で通っていた。勿論嘘である。初めてケッタがこの七番国へ足を踏み入れた時、「誰か?」と聞かれてそう答えたのだ。「女のくせにやたらと男勝りでな、どうしてもいつか俺に勝つと言ってきかんのだ」この台詞が彼女の殺意を倍増させたことは間違いない。 それ以来、彼女はそれまでの生活からは想像もつかない待遇を受けていた。ケッタに「信頼が置ける」と判断された一部のオオコシ軍仕官に特別に稽古をつけてもらえて、世話役もつき、十分な食事が取れる……。しかし、そのことに関して、彼女は一度たりともケッタに対する感謝を覚えたことは無かった。むしろ、待遇が良くなる毎に復讐の炎に薪をくべた。ケッタの子だと言われて、必ず嫌悪感に顔をしかめた。それでも、流石に自分の身はわきまえているのか、殺意を口外することは無かったのだが……。 「いつか、絶対に殺してやる……」形だけの反発と、復讐の道すら憎きケッタに握られているという矛盾を押し殺そうとする気持ちの萌芽が、混ざり合っている。「あたいの手で、絶対に……」彼女の一人称は、この数ヶ月の間に「俺」では無くなっていた。 その後、稽古の疲れから熟睡した彼女を起こしたのは、食事の時間を告げに来た世話役でも、何時までたっても起きてこない彼女を心配したケッタでも無かった。彼女が目を覚ましたのは深夜のことである。そのとき、野盗の鋭い刃は既に首筋に迫っていた。
国政が軌道に乗り始めたとはいえ、まだ七番国の政治がいくつもの難点を抱えていることに間違いは無かった。外交上の問題だけでも、目と鼻の先に控えているマサシの侵攻が考えられる。内政を見れば、新旧の官吏の対立が顕著になり始めている。特に、追放された元実力者達の動きが読みづらく、危険であった。かつて財政担当だったヒタチなどは、肥やした私服で私兵を雇い、反逆を企てているとの噂があった。外交担当だったサガミは、追放された官吏の仲立ちをして、強力な組織を作り上げようと試みているとの報せが入った。こういった個人の動向に、どこまでも目を配らなくてはならない。金と野心だけはある連中だけに、要注意である。 彼は新たに官吏を監視する方法を編み出そうとして、信頼の置ける官吏だけを集めて討議をしている最中だった。とうに日没を過ぎ、闇は一刻ごとに深くなっていったが、対照的に、議論は活発の度合いを増していった。誰かが一つ案を提出すれば、他の誰かがその案に対する穴を見つける……そういった具合で、何度も良案は出されたのだが、一つとして実施に至るようなものは無かった。 議論が終わりを告げたのは深夜のことだった。「……であるからして、ヒタチ、サガミ両氏を牽制するために……」というケッタの発言が途中で途切れた。バタバタという足音が廊下に響き、一人の兵士が戸を開けて入ってきた。「大変、です!」その男は顔面から血を流し、息も絶え絶えに、叫び声を上げた。「野盗の、野盗の、侵入です!」 「早く、この男に手当てを!」ケッタがそう叫ぶと、部屋中の男達があちらこちらに散らばった。「医者を呼べ!」それだけ命令すると、彼は鎧と剣を手に取り、走り出した。ケッタに怪我人の手当てが出来るわけでも無い。今の彼の任務は、怪我人を減らすために剣を振るうことだった。 野盗の出現しそうな場所は、あらかた分かっていた。
食糧倉庫、財庫には、国の税収の全てが詰まっていると言っても過言ではない。国の持つ最大の財宝は、軍事力、国力、それら全ての元となる住民なのだが、だからと言って税収を気前良く盗賊に分け与えるわけにはいかない。税収は民衆の力の結晶であり、それを奪われることは、人民を殺害されるのと同じである。 ケッタがその場に到着した頃には、既に戦闘が始まっていた。野盗の数は少なく、百にも満たないのだが……その統率の取れた動きはケッタも舌を巻くほどであった。どうやら相当な統制力のある者が、野盗を率いているらしい。 「何をやっている!」 食糧庫や宝物殿には火がつけられ、どうやらそれなりの量が強奪されているらしい。「火を消せ!」ケッタは命令をかけた。火を消さなければ野盗に手を出せないのである。少数の敵の動きは巧みで、千近い兵団を翻弄している。ケッタは弓を持って来なかったのを後悔した。倉庫の上に上った野盗に対して、これほど強力な武器は無い。 よくよく野盗の行動をみると、どうやら彼らは倉庫の中身を小分けにして運んだらしかった。そして、野盗の行動は二つに分かれていた。手に武器を持った野盗と、手に食糧の袋を持った野盗とがいる。盗みと戦闘に役割を分担しているのだ。前者が戦闘要員、後者が盗みを専門にしているらしい。賊は黒服に身を包み、目の周りを除いて顔を隠している。これではどこに賊がいるのか、特定し辛い。 「消火に当たらぬ者は裏手に回れ、ここは俺が食い止める」 その声が通ると、その場のざわつきは一瞬にして頂点に達した。兵士が道を開けるように左右に分かれ、ある者は消火に、あるものは裏手に回り、野盗集団の行く手を阻もうとした。 ケッタは剣を抜き、静かに野盗に近づいた。刹那、野盗の一人と目が合う。その野盗が手にしていた笛を吹くと、野盗集団は、盗んだ物の中で重い物だけを投げ捨てて、ケッタと反対方向へ逃げ出した。その場には、たった一人、笛を吹いた野盗だけが残った。 「ほう、いい度胸をしているな……」 たった一人だけで残った野盗の目が瞬間的に輝く。闇に煌く二つの光が、紅蓮の炎を映し出す。戦いは既に始まっていた。
幸せな眠りから覚めると、そこは、五ヶ月の間にすっかり見慣れてしまった部屋の中だった。部屋を色づけるのは闇ばかり。どうしてこんな時間に起きてしまったのだろうと不思議に思って自分の姿を見ると、まだ胴着を着たままである。彼女は、特訓が終わった後、自分がすぐに寝てしまったことを思い出した。 「お目覚めかい」 聞き慣れぬ声がして、彼女ははっと飛び起きた。見慣れぬ男が視界に入り、彼女は男と反対側の壁に背をつける。自分が何か持っていないか探した──無い。 「残念ながら、あんたに身を守る術は無いぜ」 その男はいとも楽しそうに言った。 「ちょっとしたわけがあってね、捕虜になってもらいたいんだよ……」 執筆日 (2004,12,21)
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