マサシ侵攻策 〜九〜 |
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「ついに自ら出てきたか……」とケッタ。 タモ軍は明らかにたじろいでいる。敵の総大将マサシが先陣に立ち、果敢に指示とツバを飛ばしながらタモ軍を攻め始めたのだ。タモ軍の優勢は一時的なものと成り果て、後退を始めた。 武将としてのマサシの実力は評判になるほどではない。彼自身が戦陣に立っても、先陣に立つなど、前代未聞の出来事であったのだから。 そして、今。その実力は分厚い鎧を脱ぎ捨て、真の姿を披露したのである。 「退け!」 声はタモ軍の最奥、タモの口から迸った。敵の急激な作戦転換についていけず、味方が急に崩れていくのが見えたからだ。同時に内心で舌打ちせざるを得なかった。マサシを見くびっていた、まさかここまで用兵を心得ていたとは。 それはケッタも同様であった。マサシの武人としての、また用兵家としての実力をまざまざと見せ付けられて、驚きにより軍の立て直しもいくらかぎこちないものであった。 マサシの戦法は決して奇抜ではない。彼自身が是としているような、堅実な用兵である。奇策を使わず、兵法の常道にあわせて兵を動かすのだ。ただ、今までケッタが戦ってきた武将とは違い、その動きは余りにも機械的で、計算しつくされたものだった。また一兵ごとの動きが速く、未熟なタモ軍では太刀打ち出来るものではない。互いに一対一で戦えば、すぐマサシ軍が動き、場面ごとの戦況を有利にする。その繰り返しだが、それはタモ軍にとっては負けの、敗走の繰り返しである。タモ軍は徐々に数を減らしていった。 「所詮タモはこの程度であったか……我らの敵ではないな」 タモ軍の後退を見たマサシはこうつぶやく。もはや目の前にいる敵は、降伏へ向けて一直線に坂道を転がり落ちている。 かたやケッタはと言えば、戦場で孤立するのを免れようと、必死で味方の部隊を探し、その中に入っていっては後退の指示を出すと言った状況であった。 傍で血飛沫が飛ぶ。 助けを求める声と、降伏を強要する声。 断末魔の悲鳴が上がり、その度に量産される死体は、大半がタモ軍のものであった。 助けに入ってはマサシ軍を切りつけるが、まるでキリが無い。 戦争は指揮官一人でこうも変わるものかと思いながら、同時に彼は、これは負け戦だと思った。 そして、彼は知らず知らずの内に何かを探していた。 戦場に常に存在した、白い死神。 (……いかん、ここで俺が妄想に捕らわれている場合ではない……兄者はもう死んだのだ。俺がこのタモ軍をまとめなければ、誰がこの敗戦を処理出来るというのだ) ケッタは懸命に幻影を振り払い、同時に周囲の敵を数人振り払った。また血飛沫が飛び、今度はマサシ軍がのたうちまわった。 この時、苦しむマサシ軍を前にして、ケッタの脳裏に悪魔的な考えが呼び込まれた。 (……そうか、現状を打破するにはこの手しかない……)
一方、タモ軍最後尾。 ついにマサシ軍が、大王タモのところまで進出を果たした。流石に数的に圧倒的にタモ軍が有利なのだが、敵陣の奥深くまで攻め込むマサシ軍は精鋭揃いであり、その勢いも無視できないものであった。タモは必死に防戦し、何とか決壊を食い止めていた。 「敵の前進を防げ!」 タモの命令はこれ一本槍であり、他に命令のしようも無かったのだろう。タモ軍は奥深くまで乗り込んだマサシ軍を丁寧に葬り去った。しかし、前線ではその倍数以上の兵が消え去っていくのが、彼らの視界に入っている。焦りが冷静な判断を欠き、だんだんとタモ軍の後方も崩れつつあった。 (おや?) タモ軍の士卒の一人が前線の変化を見た。完全に劣勢だったはずの前線が再び奮闘を始め、マサシ軍を殲滅しつつあるのだ。しかし、死者が増えているようにも見える。 一体どういうことなのかと、士卒は不思議がっていた。 前線では一つの部隊が善戦し、ようやくマサシ軍と互角の戦いを挑めるようになっていた。その部隊はケッタを筆頭に、味方を助けつつ後退していた。その部隊はかなり動きが良く、また善戦する味方を取り込みつつ膨れ上がっていったが、別の場所ではマサシ軍に攻撃されるタモ軍を見捨てているようでもあった。 この様子を眺めていたタモは、すぐにはケッタの戦法を悟れなかった。 マサシ軍も同じく、ケッタの不思議な戦術に目を奪われていた。数は少なくなりつつあるのに、タモ軍の勢いは増しているのだから。 「まさか、ケッタは仲間を見捨てているのか?」 その考えが浮かんだとき、タモは慄然とした。 ケッタは弱兵を見殺しにし、力のある者だけを助けている。指令の届く範囲の味方を集め、少数精鋭によって後退しつつ、各個撃破の作戦を試みているのだ。 ケッタは弱者を切り捨てた。助けられる者を選び、それ以外は切り捨てる。こうして、ケッタは精鋭揃いの少数集団を率いて──タモ陣営本陣へ向かってきている。 マサシ軍も後退を始めた。彼らが退かなければ、タモ軍はケッタとタモの両将軍によって挟撃され、死への道を免れ得ないのである。同時にマサシ軍は、彼らの首領の声を聞いた。 「撤退せよ!」という簡潔きわまり無い命令である。 マサシ軍はきっちりと、隊列を崩さずに後退しつつあった。ところどころで前線から向かってくるケッタらによる被害を受けたが、防戦一方に徹したためかその被害は少なかった。 戦況は、最初の状況に戻りつつあった。
数十分後。 移動は完全に終わり、両陣営はタモ側、マサシ側で固まった。 この時、タモ軍総数、およそ千六百。マサシ軍四千二百であった。マサシ軍が圧倒的に有利な状況でありながら、何故か局所的にタモ軍が優勢であり、彼らは完全な勝ちを収めたと思ってはいなかった。勿論マサシ軍はいつでも攻めに転じる体勢を取っていた。 片や、タモ軍は圧倒的な敗北感に包まれていた。全兵力の半分以上を失い、何とか全軍壊滅を免れたのである。それはケッタの功績でも、責任でもあった。 もしケッタがキュウイ──今は亡きタモ軍の大将──であったとしても、戦況をひっくり返すことは不可能で、敗戦は免れ得なかったに違いない。だが、悲しきは知名度と信頼の低さだろうか。ケッタは敗戦の責任を負わねばならなかったのである。 タモはケッタを呼んだ。やがてやって来た彼は、戦前にも増して疲弊しきったような表情をしていた。鎧は血にまみれ、今にも倒れるのではないかとタモは気を揉んだ。 「一つお前に忠告しなければならないことがある」 「何でございましょう」頭を垂れて、ケッタは返事を返した。それは、タモにとってすら意外なほど卑屈な態度であった。 「士気を上げるために戦陣に飛び込むのは構わん、だが、部下を率いるという大仕事を背負っていることも忘れるな」 「……存じております」 「話はそれだけだ、兵をまとめて来る第二戦に備えよ」 「……御意」 指揮官とは、常に矛盾を背負っている存在である。士気を上げるためなら自らも前線に立たなければならず、また部下を確実に動かすために、生きて返すために、死んではならない。指揮官のいない戦争など負け戦にしかならない。勿論、指揮官だけで戦争が出来るわけでもないのだが。 タモとしては、キュウイを失った上にケッタまで失うわけにはいかなかった。だからこそ「生きて帰るように」と言ったのだが、ケッタは逆に、この言葉からそれだけの温情を感じ取れなかった。戦争によって神経が磨耗しかけていたのかもしれない。 タモ軍は相手の軍を見やった。相手は相対的に強さを増しており、タモ軍が勝てる可能性などありそうにない。それほどの念を抱かせるほど、マサシ軍は驚異的な存在に見えた。さしつつある夕日がその姿を照らし、タモ軍の目にはマサシ軍が一つの塊となって見える。勝利と言う名の塊に。 だが、彼らの「嫌な予感」は続くマサシ軍の行動によって払拭された。 「なんだあれは。マサシ軍は何をしようというのだ?」 士卒の一人が驚きの声を上げた。他の者も、同じようにその光景を見ている。タモもケッタも例外ではない。ただ不思議そうに、マサシ軍の動きを眺めていた。 マサシ軍は後退を始めていた。圧倒的に有利なはずの彼らが、獲物を前にして爪を立てておきながら、喉を食い破る前に去っていこうとしているのである。 「陽動かもしれん、いや、それにしても……どう思う、ケッタ」 「……」 ケッタは返事もせず、ただ黙ってマサシ軍の後退を眺めていた。 「完全に我々の負けであったはず。もしマサシが本気で攻めるなら、下手な小細工を弄しようとしているというのもおかしなものだ……」 タモは去ってゆく軍団の後姿を、ただ不思議そうに眺めていた。 「それにしても、一体どういうことだ……」
「一体どういうことだ……」 一旦体勢を立て直してから再び獲物にかぶりつこうとしていた肉食獣の集団は、思いがけない撤退命令に驚きつつ、その歩みを首都方面へと進めていた。この歩行集団は口々に疑問や嘆きの声を交わしつつ、突然の撤退に思い至ったマサシの真意を探ろうとしていた。 だが、それは反駁的対話によって答えの得られる問いでは無かった。何故なら、マサシ自身もはっきりとした状況を掴みかねていたからである。 タモ軍との戦闘で体勢を立て直している最中のことである。マサシの元にマサミチからの使者が訪れ、驚くべき事実が告げられたのである。それはマサシの計画に完璧な亀裂を生じさせるのに十分なものであった。 リョウマ軍、撤退。 マサミチ軍、オオコシ軍に破れる。 「まさか本当ではあるまいな?」 「残念ながら事実です、陛下。リョウマ軍は我々の作戦に気付き、南部のタナカ軍を放棄16番国へと戻りつつあります」 「馬鹿な……リョウマ軍がどうして我々の動きを知り得たのだ」 マサシは一つの可能性を思い当たった。それは内部密告と言う可能性である。しかし、マサシはタナカに作戦の全容を伝えたわけではなく、タナカが安全と引き換えに情報を渡したとも考え難い。 「となると、やはりリョウマ軍が……いや、リョウマにそれほどの奇策を見抜けるだけの才があるだろうか。いや、問題はそこではない」 マサシは再び使者に向き直った。 「マサミチは今どうしているのだ」 「オオコシ、ケンタロウの連合を相手に何とか振り切り、どうにか9番国を死守している模様であります」 「ケンタロウだと!?」 思いがけぬ人名に、マサシは絶句した。 (そうか……ケンタロウめ、手薄な8番国を攻め寄ったな……しかし、迂闊だった。やはりあの成り上がり者のような雑魚に要所を任せるべきではなかった。防波堤の役目ぐらいは果たすと思ったのだがな……) 「して、そちらの証拠は?」 「マサミチ将軍より御手紙を預かっております」 使者は懐から手紙を差し出した。それは走り書きの手紙であったが、確かにマサミチの字であった。中には対オオコシ戦の様子が、簡潔に記されている。 どうやらタモ軍と戦端を開く直前に、ケンタロウの千近い兵が戦場に現れ、オオコシ軍本体と挟撃されてしまったようだ。途端にオオコシ軍に包囲されその重量級の攻撃で、マサミチは手痛い損害を被った。この戦術上の偶発的な出来事がマサミチにとっては致死の一撃であり、撤退と言う選択肢を取らざるを得なかったようである。 それを機にオオコシ軍は一旦兵を合流させ、南進の構えを見せていると言う。 「なんということだ……」 マサシの計画は完全に狂った。このまま兵力を8番国に集中させ、なんとしても崩壊を免れなければならない。もはやタモを相手に戯れている場合ではないのだ。 「報告ご苦労であった。下がれ」 マサシの口から重低音が漏れた。マサシともあろう者が、内心の不快感を隠しきれなかった。それを聞いた使者は、かしこまった顔つきで一礼し、マサシの前から去っていった。 この時マサシは気付かなかった。使者の顔に微笑が浮かんでいるということに。
事件は彼らの目に見えないところで起こっていた。 歴史家は書く。「この時マサシは完璧に騙された。恐らく冷静さを失っていたのだろうと、彼自身の告白録には記してある。使者はマサミチからの手紙を持ってきたのだ。 使者はマサシ軍一行の傍に待機させておいた馬に乗ると、マサシ軍を上回る速度で8番国方面へと向かっていった。やがて広河が見え始めると、急に馬の脚を止めた。8番国方面から急いで走ってくる馬の姿が目に入った。 「どうした!」 彼は大声を上げ、相手は馬を止めた。その男はマサシ軍の兵の一人だが、鎧を身に着けておらず、体中のあらゆる箇所が血に染まっていた。その男は彼の傍によると、息も切れ切れになりながら尋ねた。 「陛下はどこだ……」 彼は黙って、自分がやって来た方角を指差した。 「急いで、急いで伝えねば……」 「落ち着け、一体何があった」 「マサミチ将軍が敗れた……増援を求めに、マサシ陛下に報告せねば……だが……手紙が……」 「手紙だと?手紙がどうした?」 男は肩で息をしながら答えた。今度はいくらか落ちついた様子である。 「野党だ」 「野党だと!?何故野党が手紙を奪わねばならんのだ?」 「俺にも分からん。だが、手紙を届ける我々の先に奴らが現れた。……今思い出してもぞっとする、奴らは恐ろしく素早く、そしてとてつもなく強い。お前も気をつけろ、我々は全滅させられ、手紙までも奪われてしまった。俺が行かねば、マサシ殿まで情報が伝わらない……だが」 「だが?」 「見ての通りだ、俺の馬はもう走れん。お願いがある、陛下にことの次第を伝えて欲しいのだ」 彼は馬を見た。確かにもう走れそうに無いほど疲れきっている。彼は再び目の前の男に視線を移した。必死の目で嘆願している。彼は男の肩に手を置き、言った。 「安心しろ、その事実は既に伝わっている」 「伝わっている……どういうことだ?」 次の瞬間、男の疑問は永久に闇の中へ葬られた。彼の手から一瞬の閃光が飛び、男はその場に崩れ落ちた。 「いくらか脚色もあるがね。何にせよ、こいつで最後と言うことは……俺はこれで役目終了だな」 彼は男の傍を離れ、自分の馬に飛び乗った。それから8番国を目指し、再び馬を飛ばし始めた。 「マサシにはもう少し長生きして欲しいんでね……俺たちのためにも、あのお方のためにも……」 執筆日 (2004,05,11)
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