マサシ侵攻策 〜四〜

 

 時は旧暦1560年五月十二日。歴史は絶えず動いていた。

 戦乱の世とは、獣が生きていくために獲物を求めるのと同じように、歴史に参加する人員の流血によってのみ動くものである。このときも、歴史は、世の中は血を欲した。まるでそれが栄養源であるかのように。そして、主に流血は望天山南部、十三番国と十七番国の間を滝となって流れ落ちていったのである。

 マサシ領十三番国──

 リョウマ軍がタモ軍と対峙するために北上してから、約十日が過ぎていた。

 十三番国を束ねる男──マサシ国将軍、タナカの元に、マサシから一通の命令が届いた。その中身たるやこうである。

「リョウマ領十七番国、守備手薄である。汝の兵力によってこれを制圧すべし」

 マサシによって詳しく補給戦の計画が示され、領土の拡大という戦いの意義が的確に記されていた。敵の兵数はおおよそ千。タナカの指揮する三千の兵力があれば、十分に陥落の可能なものである。

 勿論タナカはこれに賛成した。彼としては、自身こそはこのような任に相応しいと思っていたし、そもそもこのような戦略を立て、敵を打ち倒すために将軍職を志願したのである。勿論、仕官の結果すぐに将軍となれたのは、マサシ国の高級軍人が役立たずの低能揃いだったらに他ならない。

 彼はすぐさま兵力の増強に取り掛かり、戦争の準備を始めた。通達の届く二週間近く前に十三番国の統治権を与えられて以来、ひたすら国力と軍事力の増強に努めていたから、準備は既に終わっていたと言える。彼は主君と密かに連絡を取り、遠征の出発予定日を決定した。

 そして、通達の五日後──旧暦1560年五月十七日。タナカによる南部侵攻は開始された。奇しくも、それはオオコシ軍とマサミチ軍による直接的な軍事衝突、その第二幕の幕開けとほぼ同じ日付であった。

 

 将軍と一言で言っても幾つかの型がある。

 ケッタやマサミチ、オオコシのような者は猛将、闘将などと呼ばれる。主に圧倒的な力で相手をねじ伏せるのを作戦の軸として使う将軍が、このような呼び名を与えられた。タナカはこのような猛将、闘将には及ばないものの、似たような性質を持ち合わせていた。小細工を良しとしない、正攻法を主として戦いを進めるのが得意で、堅実な型であった。故に三千の兵力を惜しむような奇策は考えず、正攻法で侵攻を行った。

 後日「タナカの南部侵攻」と呼ばれるこの決戦は、小さいながらも歴史の変化に一石を投じることとなる。

 タナカの配下、先鋒の九百兵の指揮官、ハナミチ(マサミチの親戚である)中佐はこう回想する。

「我々は成功を確信していただろう。兵卒の指揮は最大限に高まり、勢いだけでも十七番国を落とすには十分だった」と。

 ちなみに、彼はこのときの手柄で中佐から准将へと昇進し、マサシ国南部、十二番国を統治することになるのだが、それは別の話である。

 タナカの兵力三千は十七番国に侵略を開始した。十七番国の防波堤と言える地位にあるのは、マサシ軍少将トウシである。彼は侵攻してきたタナカ軍を見て、すぐさま迎撃の指令を出した。

 こうして、「タナカの南部侵攻」は始まりの鐘の音を聞き、目を覚ました。

 ハナミチ率いる九百の歩兵がまず動き出し、千兵と対峙した。動きは明らかにハナミチに利があったが、迎撃戦ということでリョウマ軍に地の利がある。防戦一方のリョウマ軍だったが、一気に攻め込ませはしなかった。巧みにハナミチらの攻撃をかわし、敵を陣営の奥深くに誘い出そうとした。

「見え透いた罠を使っても無駄だ、ハナミチ、退け!!」

 タナカはトウシの分断策を読んでいた。

 正確には、それを利用したのである。敵兵が自軍より少なければ、時間差なり地理的条件なりを利用して敵を分断、各個撃破の策に出るのが常道である。タナカは相手の兵力より僅かに少ない、ハナミチ率いる九百の兵を先鋒として動かすことで、最初に相手を下がらせることに成功した。

 タナカの声が掛かり、ほぼ無傷の九百近い兵力が退いた。代わってタナカ自らが配下の将軍を連れて、ハナミチの九百兵を併合、加速をつけ、一気にリョウマ領に踏み込んだ。

「退け!」

 恐らく、そういったのだろう。このままでは勝てないと判断した敵将トウシの合図と同時に千近いリョウマ軍が急速に後退を始めた。逃げる千と、追う三千。双方隊列を崩さずに、次第に十七番国の奥深くへ入り込んでいった。

 

 十七番国は本来マサシ領である。絶えず一八番国、十六番国にあるマサシ領との争いが行われたため、この地にも要塞が建設されていた。オオコシ領五番国のように都市全体が一つの要塞となっているわけではないが、国の中心部を囲むようにして建設されたこの要塞は、要塞としての機能は十分に果たしていた。要塞の周囲は田畑となっており、侵攻に際して周辺の住民は要塞内に駆け込んだようである。

 リョウマ軍は全て要塞の中に立てこもり、タナカは自軍の布陣を一点に集中させた。このような場合兵糧攻めが有効だが、それではリョウマ軍が十七番国に備蓄された食糧を浪費してしまうだろう。それに、戦争が長期化すればリョウマ軍が南下してくる可能性がある。タナカとしては、出来るだけあっさりと十七番国を占領してしまいたいところだった。

「しかし、攻めるのが難しいな」

「火攻めや兵糧攻めが有効ではないかと存じますが」とハナミチ。

「馬鹿者、中の住民まで蒸し焼きになってしまうではないか。我々は侵略者ではなく、占領者だということを忘れては困る」

 ハナミチは何か言いたげであった──そのために侵略しないのでは、侵略の意味が無い。

 それでもタナカの考えはマサシ軍全体に行き渡った。その背景には、無辜の住民に危害を加えないというマサシ国の基本方針とでも言うものがあった。公正さが一般市民に与える影響は大きい。手に武器を持たない民衆は、自分達の身を守ってくれる者につかなければならない。出来ることなら、安全で快適な方へ。

 マサシはオオコシの謀略とも言える軍略から、教訓を得ているのである。しかし、その教訓がもし作戦の形を取らなければ、果たしてここまで徹底していただろうか。

「さて、どう攻めるかな。向こうが降伏でもしてくれんだろうか」

 タナカの儚い願いは、叶えられそうも無かった。リョウマ軍は要塞に立てこもり、隙あらば中から攻撃してこようという姿勢を見せている。

 どう攻めるか……。タナカは結論を翌日に引き延ばすことにした。いくつか案はあるが、それらは戦況次第で変わるものだった。

 

 その日の夜遅く、要塞内に避難した民衆の中で、一人の男が好機を窺っていた。

 男の名はヨシカス。どこか間の抜けた名前だが、リョウマ領十七番国にあってマサシ派に属する者──即ち、反乱分子であった。マサシ軍の侵攻というこの好機に、一気に名をあげようと一つ計略を立てた。まず要塞内に散らばる仲間を集め、作戦案を提示。翌日決行が決定された。

「この好機を逃すな、俺達が名実ともにマサシ軍に名を連ねる時が来た」

 彼には願望があった。武人と言っても通用するだけの才幹を持ちながら、身分の壁のためにその実力を発揮せずに終わりたくないという願望である。仲間たちの中にも同じような感情があった。実際に彼らが才能を所持しているかどうかも知らずに、ではあるが。

 同じ頃、要塞内の守備を指示するトウシも考えを巡らせていた。

 と言っても、彼が考えることはただ一つ。この危機的状況をいかにして打破するか、である。まず彼らの主君であるリョウマに事の次第を伝達し、援軍を頼む。これは何名かに使いの用を申し付けたから問題ない。

 問題は、援軍が到着するまでどうやって敵軍をやり過ごすか、である。敵軍の数は自軍の約三倍。勝てない自信はあった。要塞にこもったとしても、相手が強行突破を行えば全滅してしまうだろう。勿論相手も損害を受けることは間違いないが、自分が死んでは意味が無い。

 要塞の上から野営する敵軍を見下ろしつつ、トウシ率いるリョウマ軍は議論を続けた。

 夜は更けていく、各人の思惑を乗せて。

 

 翌朝。戦端はリョウマ軍の先制攻撃で開かれた。

 重い要塞の戸を開けて、千の兵が現れ、タナカ軍を突付き始めた。タナカ達は意外な攻撃に驚きはしたが、勢力比を逆転させるほどのことではなかった。すぐに態勢を立て直し、反撃に転じた。この時すぐにトウシ率いるリョウマ軍は後退し、反撃を受ける前に要塞に辿り着こうとした。戦法としては、オオコシ、マサミチ戦でケンタロウが使おうとしたものと同じである。うまくいけば要塞の内外に敵軍を分割できる。敵を怒らせるのがこの作戦のミソなので、反撃を真っ向から受けなければならないほど敵軍に深入りする必要が無いのが強みである。彼らは一気に反転し、要塞の門前まで辿り着いた。

 すると、全く不思議なことが起こった。運命論者なら「これは再現だ!」と叫ぶかもしれない。そう、オオコシ対マサミチ戦で南大門が閉められてしまったように、要塞の門が閉まったのである。

「どういうことだ!」

 士官の台詞まで似ている。それもそのはず、彼らには裏切られる要因は無いはずなのだから。

 しかし、現に扉は閉まってしまった。彼らは要塞の外で、自軍の六倍近い敵と戦うはめになった。

 タナカはこれを好機と、一気に攻め込む。巧みに陣形を輪のようにし、数少ない敵を包囲。しかし、タナカはすぐには攻撃命令を出さなかった。

「降伏を勧めよう。お主らに勝ち目は無い。今ならマサシ国靴磨き程度の職は約束してやるぞ」

「黙れ!我々はマサシ軍に腰を折るなど……」

 リョウマ軍の指揮官、トウシは自軍を見回した。全員が血の気の失せたような顔をして、戦意を完璧に喪失している。彼は、一瞬で勝ち目が無いのを悟った。

「……降伏しよう。我々の負けだ」

 彼はがくっと頭を垂れた。タナカはいとも上機嫌にその光景を見守っていた。

「意外と良識のある奴だな。さて、大人しく捕虜になるがいい」

 偶然の勝利によって、タナカは十七番国を制圧したのである。

 

 彼らが要塞の中に一歩足を踏み入れると、全く別世界が広がっていた。

 要塞の中に築かれた、大量の死体の山。兵士と、それに倍するほどの一般市民の死体である。血と汗の入り混じった異臭が鼻を突き、タナカですら吐き気を催すほどの凄惨な状況であった。生存者の影が見当たらないような状況である。

「一体どういうことだ……この中で一体何があった?」

 見れば、両手を繋がれたトウシも呆然として中の光景を見ていた。少なくとも、彼は一般市民の虐殺に関して何も関与していないように見えた。再びタナカが要塞の中へ進んでいくと、そこへ、一人の男が通りかかった。

「おい、一体この中で何があったんだ?」タナカはその男に聞いた。

「ああ、これはな……あいつらだよ。この町に巣食う乱暴者の連中さ、奴らがやっちまいやがったんだ」男は吐き捨てるように言った。

「そいつらは何者だ」

「ああ、ヨシカスとかいう男が首領だ。いつもマサシ国派についている奴らだ、リョウマ領になってから暴動が起こると思ったが、やはりやったな」

「そいつらはどこにいるんだ」

「要塞の中の……口で説明も出来ん、ついて来い」

 男はタナカを連れて歩いていった。タナカも部下と、捕虜となったリョウマ軍を連れて要塞の中を進んでいった。至るところに死体が「置いて」あり、生き残った住民達は怯えの目でタナカ達を見つめた。まずはこの状況をどうにかしなければなるまい……タナカは新たな問題に直面してしまった。

「ここだよ」

 何度か櫓の下を通り、一つの建造物へ辿り着いた。要塞の兵舎である。男は戸を開け、中に入り、タナカ達を誘導した。

「ご苦労」

 建物の中から男──まだ若い男の声がした。道案内はフラフラと中へ入っていき、声の主は入り口にマサシ国の軍服を着た男の姿を認めると、すぐにその前にやって来た。

 その次の行為がタナカを驚かせた。その若い男は、タナカの前でひざまずいたのである。

「お待ちしておりました」男は、やや皮肉めいた声で続けた。「我が名はヨシカス。マサシ陛下にお仕えしたく、この度国内の反乱勢力を一掃いたしました」

「あれをやったのはお主か」

 タナカの問に、ヨシカスははっきりと答えた。

「そうです。我々が陛下の為に行ったことです」

「陛下……いや、つまり我々の為だと……。そのために無辜の民まで害したか」

 タナカは本気で目の前の男を殴り倒したくなった。

「彼らは兵士達に殺されたのです、逃げれば良いものを……」

「ここは我々が統治することになる土地だがな……その民衆まで殺したというのは、おかしな話だと思わんか」

「彼らはリョウマ派です。それに、我々が門を閉ざしたために戦争は早く終結し、より多くの犠牲を出さずに済んだのです」

「門を閉ざしたのはお主か……」

 確かに男のいう通り、戦争は予定より遥かに早く終結したのである。公人のタナカとしては、ヨシカスを処刑することは出来ない。

「我々の功を御認めいただき、マサシ陛下に取り次ぎ願いたい。ここに二千の精鋭が士官を志願すると」

 公人のタナカが間一髪のところで私人のタナカを押し止めた。ヨシカスは完璧に陶酔しきった表情で、タナカを見ていた。その男の狂態を眺めつつ、タナカはある一種の戦慄のようなものを覚えた。

 マサシなら、このような男すらも制御するかもしれない。


執筆日 (2004,03,23)


戻る 進む

「乱」TOPへ戻る

TOPに戻る