マサシ侵攻策 〜二〜 |
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オオコシ国とマサシ国の全面戦争、すなわちオオコシ軍とマサミチ軍の軍事的衝突がまさに勃発しようとしている頃── オオコシ国の南にある小王国の国王は苦悩していた。その国王の名をタモといい、ケッタという名の将軍を配下に持っている。彼はオオコシ国との戦役を、大量の屍を量産しながらも、何とか乗り切ったところだった。 しかし、依然としてタモ国は二匹の鷹に狙われた格好の獲物に過ぎなかった。東にはマサシが、西にはリョウマがそれぞれ十五番国を挟むように布陣している。おまけにオオコシの驚異も消え去ったわけではない。よほどの楽天家で無い限り、兵力の増強に腐心するのが当然である。タモも、決して楽天的な男ではなかった。 彼は配下の僅かな兵を四番国の防備に回し、残った兵は全てタモ国首都、十五番国へ集中させた。首都の兵力が約二千五百、四番国へ回した兵力が約五百。その四番国へは重臣のケッタを、今は亡き彼の兄の代わりに統治者として派遣した。 当然ながらその兵力ではオオコシ軍、リョウマ軍、マサシ軍と相対することは出来ない。オオコシ、マサシの二者と同じく、タモは全国に徴兵令を発布し、志願兵を募った。さらに税収の二割を国防に当て、兵力の強化を試みた。おかげでタモ国全軍の兵力は、一時的ながらマサミチ軍とほぼ同数の兵力を維持するに至ったのである。 しかし、このような軍事力の急増の背景には、タモの悩みが見え隠れしている。 当時タモ国志願兵の数は一万を突破する見込みであった。しかし、タモがそれを拒み、徴兵を極力抑えたのである。財源の問題があった。 タモ国は狭かった。 つまり、国内の総人口も多くは無い。この時タモ国の人口は、およそ二十五万。盆に一定量以上の水を入れることが出来ないのと同様に、タモ国の人口としてはこれが限界の値だった。実際に人が住むだけなら五十万以上は詰め込むことが出来るだろうが、タモ国は一つの独立国として、生産と消費を全て賄わなければならない。限界以上の人口を養おうと思うのならば、タモ国は王宮さえも田畑に変えねばなるまい。 国民を飢えさせてはならない。 飢えは国民の政治に対する不安感、不信感を募らせる最たるものである。飢饉、天災に備えて食糧を備蓄することが出来る程なら問題は無いが、災害のみならず平常時にも国民が飢えるようであれば、国は崩壊する。そもそも国政とは、国民を飢えさせないためのものではなかったか。 今回の徴兵に際し、タモが腐心したのはその点である。 一万以上の徴兵。聞こえはいいが、言い換えるならば「農村の主要な働き手を一万人」ということであり、実施すれば国力の大幅な減少は免れ得ない。おまけに増えた兵力を養うために食糧が必要となるし、武具などの軍事物資も新たに整えなければならない。軍事費として消えた二割の税収は、そのような使われ方をしていた。 幼き日、タモガミはキュウイに、 「どうして父上は軍事の強化をなさらぬのでしょうか」 と聞いたことがある。対するキュウイの答えは以下のようなものだった、 「軍事力の強化がもたらす最大の弊害は、国民を飢えさせ、飢えを永続化させる点にある。徴兵は国力の低下を生み、国力の低下が意味する物は、国民の飢え、人口減少なのだ。この人口減少は更なる国力の低下を生む。その繰り返しが国家に滅亡への道のりを歩ませることになるのだ。あのオオコシですら、軍事力を好き放題に強化出来なかっただろう」 「では、タモ国の軍事的発展はもはや望めないのでしょうか?」 「望もうものならば、国は死ぬ。国民を飢えさせる国は国家としての存在意義を持たないだけでは無い。国家としての存在意義を持てないのだ。軍事の暴走を許した国家が、長く続いた例など無い。勿論戦争状態に突入すれば敗北は免れないだろう、しかし、そうさせないために外交があり、戦略がある」 そうして、幼き日のタモガミは優れた師から国政を学んだのだった。タモとしては、タモガミの師に問いたい気持ちで一杯だった。もし彼が生きていたならば、今のタモにどのような助言を与えるだろう?
一方、タモから四番国の守備を任されたケッタの方も、タモに負けず劣らず大変だった。 軍事的な棟梁として、過去のキュウイ軍を千近く上回る二千九百の兵を任され、指揮しなければならなかった、その兵というのも大半が志願兵の素人であり、平和な世の百姓である。これらの新人兵を一から鍛え上げ、まともに戦えるだけの状態に持っていく必要がある。それがいかに大変で骨の折れる仕事か、上官には上官の悩みがある。 しかし、更に大変なのは四番国の統治である。 「全く、兄者が生きていれば俺がこんな苦労を味わうことも無かっただろうに!」 ケッタは決して政治家としての才能が無いわけではなく、むしろ政治家としてもやり手と言えるだろう。しかし、その才能に四番国の人民がついていけなかった。彼らはキュウイの政治に慣れており、少しでも政治の質が落ちるとケッタの才能を非難せずにはいられない。四番国の人民にとって、ケッタは「キュウイ将軍の弟」でしかない。優秀な人物は大きな功績を残すが、同時に後任の悩みの種も蒔いていくものだ。ケッタの方も堂々と政治批判を受け付けていた。それがキュウイの政治を示す手がかりの一端となるからである。 しかし、次第にケッタに対する人民の不満は高まっていった。ケッタも忙しく、対応に手が回らない日々が続いた。無論部下にも有能な人材が揃っているが、それでも軍事、政治の二点の水準をキュウイの維持した水準までに高めることは難しかった。ケッタの忙しさも日に日に増していき、その巨体からは心労と肉体的な疲れが滲み出ているようだった。 勿論、これらは嵐の前の静けさである。後に、ケッタは地獄のような忙しさに身を置くこととなる。 翌日、ケッタの元に幾つかの報告がもたらされた。 それらの報告の内容は、更なる戦乱の勃発を示唆するものが多かった。 マサミチ軍によるオオコシ本国への侵攻はまだ報告に無かったものの、各国の不穏な動きが新鮮な情報としてケッタの脳を刺激した。来るべき戦乱に備えるために、情報は枯渇させてはならない。 「マサシ、オオコシ両国が一万近い徴兵を行いました」 「ミキヤ北上、オオコシ国西部を狙った軍事行動と見られます」 「マサシ国王直属軍四千、十五番国の東に布陣。侵攻の構えを見せています」 「オオコシ国の兵力が五番国に集中しました」 タモ国の危険は日に日に増してきている、と三番目の報告を聞いたケッタは思った。この時点で最大の危機に瀕しているのはオオコシなのだが、その兵力からすればそれほどの危険性は無いように思えただろう。現状はマサシがオオコシとの全面対決を試み、リョウマがそれに乗じようとしているように見える。タモ国は隙さえ見せなければ容易に攻められはしないのではないだろうか。勿論マサシがタモ国を上回るだけの兵力を手に入れたとすれば、事態は全く別の方角に転がっていくだろう。 そして、ケッタの元に最後の報告がもたらされた。十五番国からだった。 「南部十三番国、十七番国で戦乱が発生する可能性濃厚。十三番国を統治するタナカ将軍、兵力増強」 「まった、十七番国はマサシ国の領土ではなかったか?」 「前回のタモ国侵攻の際に、リョウマ軍が奪い返したものと思われます」 それを聞いたケッタは重々しく呟いた。 「全く、歴史という奴は目に見えないところで動いているものだな。それにしても、タナカ、タナカ……どこかで聞いたような気もするのだが、一体何者だ」 執筆日 (2004,02,26)
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