マサシ侵攻策 〜十九〜

 

 旧暦1561年九月二十八日。

 ケンタロウの出発からおよそ十日後、オオコシ領西端の地、二番国──

「くっ……。手傷を被ったか……」

 嘆いたのは、オオコシ方にとっては最大の脅威となるであろう敵、ミキヤ。彼の筋肉質の左手には痛々しい包帯が巻かれ、その日焼けした浅黒い肌と対照的な色調を成していた。

 遡ること一週間前。

 リュウマ軍が河の中から侵攻の時期を見計らうも、彼らはを警戒してか、オオコシ軍は決して警備の目を緩めようとはしなかった。気味の悪い鎧をまとった集団は、リョウマ軍に隙を見せまいと、最大限の戦力を川沿いに配置した。川沿いと言っても、それはまさに砂地、海岸線に等しい。ミキヤも、一度は「広河を渡り、二番国を迂回して一番国から攻めるか?」と考えたのだが、オオコシ軍はそれさえ許そうとはしなかった。対岸から獲物を眺める虎のような目つきでリョウマ軍を威嚇し、逃げようものなら襲いかかろうというそぶりさえ見せていた。形勢は明らかにリョウマ軍の優勢なのに、一見するに、オオコシ軍の方が軍として実力があるようにも見える。

 戦況が変わったのは、九月中旬のある日のことである。

 一向に隙を見せないオオコシ軍に対し、リョウマ軍は苛立っていた。

 ミキヤは慎重に、侵攻の時期を選んでいた。対岸に上陸し、オオコシ軍とやりあうには、警備が手薄であればあるほどよい。しかし、彼は勿論知っている。「オオコシ軍がそのような失態をするはずが無い」ということは。何しろ戦うことにかけては、野獣のごとき狡猾さを持っているのだから。

 夜になり、急に対岸に異変が生じた。

 オオコシ軍の姿が一斉に消えたのである。

「罠だ」と、ミキヤは一蹴した。部下達も、良く分かっていた。上陸すれば、間違いなく潜伏中のオオコシ軍に奇襲を受けるだろうということは、兵法の素人でさえ了解するところである。

 そして、その夜は、何事も無く朝を迎えた。

 対岸には、何食わぬ顔をして大量のオオコシ軍が警備にあたった。勿論、ミキヤは無視する。このような罠に誘い出されるわけにも行かない。上陸すれば勝つのは間違いないが、被害が大きそうだから。

 そして、その夜。またオオコシ軍は姿を消した。

 今度はリョウマ軍全体に「攻め」の雰囲気が漂う。だが、リョウマはそれを一喝した。

「このような幼稚な戦法に捕らわれるのではない」と。

 夜が明けて、また何食わぬ顔をして、オオコシ軍が守備に就いた。

 三日目の晩、また同じことが起こった。

 今度はミキヤ達にもある程度の同様が生じる。これで三夜連続である。「攻めた方がいいのではないか?」「いや、これは罠だ」「罠と見せかけて、実はオオコシ軍は裏でしっかり休養を取っているのだ」各種の議論が沸き起こった。しかし、ミキヤは止めた。「これも罠だ」と。次第に、リョウマ軍はミキヤの統率に異論を唱えるようになった。

 勿論、統率者としては異論が出た方がいいのである。意見一つ出来ない軍隊など、単なる暴走する破壊力の塊に過ぎない。

 軍隊論はひとまずおいて置くとして、このオオコシ軍の不可解な行動中、彼は侵攻を行わなかった。ただし、絶対的に「罠だ」という自信があったからでは無い。

 このことについて、歴史家は述べている。

「旧暦1561年晩夏オオコシ軍は昼も夜も臨戦態勢で見張りに立っている。
 半月以上もずっと見張りに立つのなら、その疲労は相当なものだろう。いつ落伍者が出てもおかしくない。
 そこで、兵を休養させるための撤退を行う。一日目は全ての兵に休養を取らせるための撤退である。
 ある程度の兵法家ならば、必ずその行動に罠の匂いを嗅ぎ取るであろう。
 二日目も同じようなものである。このようにして味方に休息を取らせつつ、相手には疑心暗鬼を抱かせる。
 三日目は、本当に罠を張る。
 三日も続けば、本当に敵軍が侵攻する可能性があるからである。
 そのようにして、ヒカルはミキヤの目を眩ましたのだ。
 だが、ミキヤは罠だと判断したから攻めなかったのではない。
 彼は期を待っていたのである。最大限に兵力を生かすその時期を」

 そして、四日目。またオオコシ軍は姿を眩ます。

 ミキヤは指令を出す。「海岸に近づけ」と。

 だが、決して上陸しようとはしなかった。何しろ、地形的に不利のある夜中の侵攻は危険を伴う。その代わり、何時でも臨戦態勢が取れるように準備を行う。

 翌朝。見張りに立つオオコシ軍が見たのは、おびただしい数の船団と、オオコシ軍の二倍近くに匹敵するリョウマ軍の姿だった。

 

「ついに来たか!」

 オオコシ領二番国、広河沿い。朝日の映えるこの地で、二番国総大将ヒカルは声を荒げる。彼の目の前には、今にも上陸しようとするリョウマ軍の姿が映っている。オオコシ軍の見張りがやって来るその時を、リョウマ軍は待っていたのだ。

 二番国内部から、多数の兵が見張りに立ちに来る。この時、隊列は縦に伸びている。ミキヤは僅かな時間差を利用した。オオコシ軍の最前面から、数に任せて攻める。僅か数十秒であろうが、オオコシ軍の後方が先頭に参加するのは遅い。ミキヤはそこに賭けた。

 早朝、見張りから兵士に変貌を遂げたオオコシ軍が、リョウマ軍に群がる。だが、リョウマ軍の方が数は圧倒的に多い。次第にオオコシ軍の数は減り、数の差は二倍、三倍と膨れ上がっていった。

「やはり、大がけは失敗だったか……」

「やっぱり無理ですよ! 三日間も隙を見せて休んでたら、絶対攻められますってば!」

「ヘイ、どちらにしろ全てのオオコシ軍を見張りに立たせるわけにはいかん、そんなことをすれば、全員過労で倒れてしまう。結局三日稼げたのだ、これで十分ではないか」

「どちらにせよ、僕らは負けちゃうじゃないかっ!」

「ええい、つべこべ言ってないで、戦いに協力せい!」

 ヒカルはヘイを蹴っ飛ばした。情けない悲鳴があがり、戦場に、また一つの命が投入される。

 戦況は、明らかにオオコシ軍が不利であった。先手必勝と言う言葉の重要性が問われている。ミキヤの猛攻により、戦力を削られたオオコシ軍。ついにその数の比は四対一にまでなった。リョウマ軍三千六百、オオコシ軍九百。もはやオオコシ軍には戦えるだけの戦力は残っていない。ついに、彼らは後退を始めた。その後退をヒカルが指揮するのだが、やはりここでも統率能力の差が出てしまう。ミキヤは着かず離れずオオコシ軍を追い詰め、確実にその数を削っていった。

 やがて、日が点に昇る頃。ミキヤらリョウマ軍は、ついにオオコシ軍を二番国城内に追いやった。もしオオコシ軍が篭城戦を挑むなら、多少落とすのに時間がかかるかもしれない。

「だが、もはや我らの勝ちは揺ぎ無い。火責めにせよ!」

 ミキヤの勢いの良い号令がかかり、リョウマ軍は一斉に火矢の準備を始めた。誰もがオオコシ軍の運命を悟り、蝉の鳴き声に終止符を打とうとした。

 その時、全く別の音が入ってきた。

 それは、何千もの馬の蹄の音だった。

 

 旧暦1561年11月14日。

 オオコシ領四番国を、十数の兵士が出発した。全員が馬に乗り、オオコシ領最大の都市、五番国を目指している。

 その中に、旧タモ国民の姿が二つほどあった。言うまでもなく、ケッタ、コウランである。ケッタの方は傷も治り、体調だけを考えるなら、これ以上無いくらいにいい調子だろうか。体中に生気が漲り、今なら三千の兵を前にしても、打倒出来る自信があった。一方コウランの方は、調子が悪いのか、それともオオコシに媚びねばならないのを不満に思っているのか、始終きつい顔をして押し黙ったままである。その胸の奥には、いまだケッタに対する憎悪の炎が渦巻いている。勿論、自分の置かれた状況を良く飲み込んでいるためか、その思いを口にする、あるいは具象化することは無い。

「五番国到着までは、二、三日かかるだろう。まあ、慌てずに行くことだな」

 ヘウが言った。

「それで、陛下には直接お目通り叶うのか?」

 ケッタは、今まで敵視していたオオコシに対して、いとも容易く「陛下」という言葉を使う。その媚び方に反感を覚えてか、コウランは後ろからケッタを睨んだ。

「勿論だ。いや、むしろ陛下が会いたがっている。五番国に着いたら、一日は休養を取るが良かろう。その後、陛下と謁見するが良い。手はずは整えている」

「感謝する」

 ケッタは、重く、低い声でそう答えた。

「……」

 コウランは、ケッタの方を垣間見た。実に悠々自適と言った感じで、どっしりと騎乗している。馬に全体重を預けるその姿は、オオコシ軍に身柄を預けたケッタの姿として、最適であった。

「……調子のいい男だよ」

 彼女は小声でそう呟く。後ろにはオオコシ軍が控えているため、おおっぴらにケッタに対して悪口を聞くわけにはいかない。ましてや、今はケッタの召使と取られている。迂闊な行動は避けるべきだった。

 やがて、馬上から眺める景色が変わる。荒廃した土地と砂色一色の風景が、やや色鮮やかなものに変わっていく。冬を目前に控え、紅葉が最後の赤を搾り出す。国が変わった、ケッタはそう感じた。気分さえも一掃されるような、色調の変わり具合だった。空気はタモ国より澄んでいる。荒廃した十五番国の空気よりは、栄華を極める五番国の空気の方が、彼には適していた。日は高く上り、一行の姿を照らす。十数の黒胡麻が、オオコシ国の大地を疾走する。

「……」

 コウランは面白くなさそうに馬を走らせる。彼女も、実の父から多少の馬術は習っていたから、それなりに馬を操ることは出来るのだ。

「どうした、無愛想だな」

「うわっ!」

 急にケッタから声をかけられ、彼女は危うく手綱を落としそうになった。

「ふん、俺が来たぐらいで驚くことはあるまい」

「誰だって驚くよ。俺はお前に用があるわけじゃない。さっさと前に行けばいいだろ」

「そう冷たくあしらってもいいのかな? そんな態度を取っていたら、冷酷無比のオオコシ軍が、お前の首を狙いに来るぞ」

 彼女はゴクリと唾を飲んだ。

「いやいや、俺は心配してやってるんだぞ。お前が迂闊にオオコシ軍にはむかうと、俺までとばっちりを受けるからな……」

「結局自分のことじゃないか」

 彼女は唇を尖らせた。少年が拗ねたようにしか見えないが。

「まあ、一応俺に対して自然な態度が取れるようにしておくんだな。人生の先輩からの忠告だ。生き延びるための」

「ふんっ」

 結局、コウランはそっぽを向いた。「流石にガキの世話には手を焼かれるな」と、ケッタは苦笑しながら、先頭集団に戻っていく。

 もうすぐ、五番国。

 

 ケッタたちは五番国に入国した。

 タモ国の裏切り者、という非常に扱いの難しい身分でありながら、オオコシ国の歓迎は相当なものだった。

「ありがたいな、この分なら陛下への謁見も、意外と早く達成出来そうだな……」

 ケッタは、新たな主の住む国を一望する。そこには、タモ国には見られない家屋、厩舎、兵舎、大陸北部特有のあらゆる建造物がある。そして、行き交う人々はタモ人ではない。また、そこに流れる空気は、タモ国のものとは違い、活気に満ち溢れている。

 ケッタは、馬から下り、新たな国へ足を踏み入れた。


執筆日 (2004,09,21)


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