マサシ侵攻策 〜十八〜

 

 オオコシ領六番国西の国境付近。

 岩石と荒れ地に覆われた荒涼たる景色の中を、十数の騎兵が駆け回る。中心にいる男は、オオコシ国で最も頼りになる男、ケンタロウ。彼は部下を統率し、救援に向かっていた。馬の歩調は乱れておらず、その上に乗る兵士たちも、ほとんど疲れを見せていない。

 先頭を切るケンタロウは険しい顔をしていた。彼は一刻も早く救援に向かう必要があったし、心中に渦巻く疑念を振り払わなければならなかったからだ。彼はオオコシからの指令を受けて馬を飛ばしてはいるが、何の迷いも無くその命令を受け入れたわけではない。オオコシの企みに、どこか読めない点があったからだ。

 以下、ケンタロウがオオコシからの指令を渋々承諾した経緯。

 

「西方に向かえ、だと!?」

 オオコシ直々の勅令を手にしたケンタロウは、その内容に絶句するしかなかった。

「騎兵四千を統率し、西国に赴任せよ」

 ケンタロウが守備するのはオオコシ領八番国、東西に長いオオコシ領の最東端に位置する小国である。すぐ南にはマサシが控えており、いつ何時落とされるとも分からないという危険性がある。こちらの兵力はたったの二千。そしてマサシたちは六千。常識的に考えて、この場を動くわけには行かない。

 動けば、マサシに侵攻される可能性が高い。

「大王は……陛下は何を考えているのだ。この危機を見越しての判断なのか。それとも何者かの甘言に操られているのか?」

 ケンタロウは手紙を破ろうとして、ふと手を止めた。

「待て……ひょっとすると……」

 その上質な紙片を前にして、ケンタロウは一つの可能性を探り当てた。そして、その考えに慄然とした。もしこの考えが大王の考えと同じなら、大王はとんでもない計画を実施しようとしているのではないか。

「まさか、大王は我々に囮になれと言いたいのか?」

 自分が西国に向かった場合、果たしてどのような展開が予想されるか、彼は頭の中の白い紙片に次々と書き込んでいった。

 一、ケンタロウは現在二千の兵力を有している。南の八番国に布陣するマサシは六千、西の五番国に布陣するオオコシは約一万。七番国、五番国の間の兵は僅かである。また、八番国の南にはマサシ配下の猛将マサミチが控えており、その兵力は今のところ未知数である。

 二、手紙の内容によると、騎兵四千はオオコシ軍の主力から出されるという。よって、ケンタロウがオオコシ軍本隊から騎兵隊を受け取った場合、まず五番国の兵力が一万から六千へ減少。この時点でケンタロウは四千の騎兵を従えてヒカルの援護に向かうので、七番国には統率者のいない(恐らくは部下に代役を頼むことになろうが)二千の兵が残ることとなる。

 三、この時点でマサシの兵力は六千。もしマサシが三倍の兵力で七番国を叩いた場合、間違いなく七番国は陥落する。

 四、マサシが七番国を攻めている間、八番国の守備は手薄になる。よって、オオコシはマサシのいない八番国を叩く。

「もしこの作戦が成功したら……」

 五、もしこの作戦が成功したら、マサシは自分の領地から遠く離れた七番国に閉じ込められることになる。回りは全てオオコシ国である。持久戦に持ち込めば、自国との補給を断たれ、包囲されたマサシ軍主力は全滅する。

「しかし……マサシはそれほどの馬鹿ではない」

 六、作戦が成功した場合、マサシは七番国に閉じ込められるが、代わりにオオコシは八番国に兵を置くことになる。

 七、すると、八番国の南に位置する十番国からマサミチが侵攻する可能性がある。最悪の場合、マサシ軍主力とマサミチの両方に叩かれかねない。

 八、最悪の場合。マサシが七番国を占拠し、そのまま大陸北部を移動。六番国を落とし、首都五番国に攻め入る可能性がある。この場合オオコシ首都五番国から動けない。そうなると、ケンタロウが西からマサシを討つことになる。それでも援軍として派遣された後なので、戦力の低下は免れないから、マサシを相手にどこまで戦えるか、その点は自信が無い。たとえマサシを倒したとしても、マサミチに攻め込まれれば一巻の終わりとなる。そうでなくともオオコシ国は周囲の国から嫌われているのだから、タモやリョウマが攻め込んでくる可能性も否定できない。

 どう考えても、オオコシ軍には役者が足りない。七番国に優秀な指揮官でもいれば話は別だが、今のままではケンタロウが損をするだけである。ここはじっくりと七番国、六番国の内政を充実させて、マサシと相対できるほどの国力をつけてから戦いを挑むべきだろう。ヒカルたちはケンタロウの援護無しで戦うべきなのだ。そして、勝つべきなのだ。

「とは思うのだが、いくらなんでも理想が勝ちすぎているな……」

 たとえ声高に正論を主張しても、通らないこともある。ヒカル軍およそ二千とミキヤ軍およそ四千では、全く勝ち目が無い。ケンタロウにもそれは分かっていたから、不毛な考えを中断させたのである。

 仕方ない、とケンタロウは思った。ここは自分のみが頼りになり、自分が動かねばオオコシ国は衰亡を免れ得ない。ならば、出来る限り良い結果を出してやろう。

 そうしなければ、自分の生き残る道は無い。

 

 間もなく、ケンタロウたちが六番国を通過して五番国に入る。その十数奇の騎兵を遠くから眺めている男がいた。

「へぇ、あれがケンタロウか……あんまり強そうじゃないね」

 その男のすぐ後ろから、甲高い声が響く。どうやら女のようだ。白い布で顔を隠しているが、砂色の肌と漆黒の目は隠せない。

「余計な口を叩くのはいいけど、戦いを仕掛けては駄目。そこ、分かってる?」

「へいへい」男は肩をすくめる。その動作はどこかこの大陸に相応しくないものがあった。「でも、野党ってのも結構自由じゃないねぇ」

「そうね……」女は言った。

「私たちも、無差別に襲ってるわけじゃないからね。それに、ケンタロウを相手にするのは被害が大きすぎるわ。ここは黙って見逃すわよ」

「戦況、変わると思うんだけどねぇ……」男は、ちょっと残念そうに言った。「ま、あんたにゃ逆らわないよ」

 

 一方、タモ領十五番国。時は1561年11月4日。ちょうどケンタロウが自国を出発してから一ヶ月と半月ほど後である。

 タモはこの日、宮中で静かに時を過ごしていた。傍らにはいくつかの酒瓶が、それも高級なものが幾つか転がっていたが、タモの顔色には一向に赤みが差さない。青白いままで、薄暗い部屋の中に閉じこもっているところを見ると、幽霊のようにも見える。

 タモは戦地に散った兵士達のための慰霊祭を済ませてきたばかりだった。

 国中を黒と白の衣服を纏った者達が闊歩し、人々の会話は小さな声で済まされる。空を覆うのは灰色の雲。今にも雨が降り出しそうな色。

 今やタモ国の主は人では無かった。

 不気味、沈黙、不安、悲劇……それらあらゆるものの頂点に立つ『死』が、タモ国を支配していた。血の海を泳ぎまわった兵士達の命は、今死の海を泳いでいるのか。その魂の行き着く先が楽園であれば、タモは心からそう思うのだった。

 慰霊祭と言っても形だけのものである。戦場で散った多数の命──千五百程度だろうか、詳しい数はこの際何の意味も持つまい──のために、タモ国の中心にある広場にて慰霊を行ったのである。一見、型通りのものではあった。タモが幾度と無く国王として演説を行ったのと同じ場で、訓示を述べ、その場に集まった兵士、市民などが沈痛な雰囲気を味わうだけの。しかし、心中には表現する術もない焦燥があったはずである。

 何しろタモ国で初めての内戦なのだから。

 ケッタの裏切りと、その被害はタモ国に深刻な打撃を加えたに違いなかった。そして、タモ国の領土が一つだけになったことへの不安感もそれを後押しする。

 もはやタモは孤立した。タモだけでなく、タモ国の全てが。

 四方八方を敵に囲まれ、しかも頼る者がいないという不安は、滅びの思想と直結している。

 タモ国に流れる空気は、どこまでも重い。

 それでも、否、それだからこそ、タモは政務をおろそかにするわけには行かなかった。四番国の強兵と、十五番国の兵を合わせておよそ四千五百。守るべき国が一つだけしかないのが唯一の救いか、そう簡単には落とされないかも知れない。

 まずはこの兵力を最大限に生かして、国防に勤めなければならないだろう。

 タモは、この役目をケッタに宛がいたかった。自分一人ではとてもではないが、兵をまとめきる自信が無い。なのに、最も軍事に長けた者は、タモ国を裏切った。彼は、ケッタの功績を全て剥奪した。見せしめではなく、怒りが求めた行動だった。

「ケッタよ、お前は何故裏切った……」

 彼はキュウイに続き、ケッタまでも失った。有能な者は次々と彼の元を去り、別天地へと旅立って行く。タモという巣は、大鳥の巣には小さ過ぎたのだろうか。そうであれば、落っこちる鳥もいるだろう、快適な巣へと旅立つ鳥もいるだろう。もしかすると、この巣はどんどん壊れて崩れ落ちているのかも知れない。優秀な鳥はそれを察知し、主の座を奪おうとしたのかも知れない。

 いや、違う。タモは自分に語りかけた。タモよ、お前は間違ってなどいない。謀反人の討伐は国主たる者の務め。それをお前は行使しただけだ。ケッタは愚劣な謀反人に過ぎぬ、お前は地の底までやつを追いかけて、追い詰めるべきだったのだ。タモよ、お前は何故躊躇った? 何故オオコシ軍もろともケッタに止めを刺そうとしなかった?

 また別の声がタモの心に響く。いいや、タモ、お前は間違っていた。何故謀反人が出た? それはお前が信頼にたる上司ではなかったからだ。王者は堂々と威厳を保つべきだが、部下の声に耳を傾けなければいけない。お前はそれを怠ったのでは無いのか?

「どっちなんだ……」

 タモは、答えを求めて酒に手を伸ばす。だが、徳利は決して正答を与えてくれない。彼も、それを分かっているはずだった。

 

 その様子を戸の間から覗き込んでいる男がいた。長身の指揮官、ムソウである。

 上官ケッタを裏切り、タモの下に再び忠誠を誓った彼を、タモは許した。そして、今やその指揮能力を買われ、タモ国の軍事における重要な地位についていた。

 彼は全てを知っていた。ケッタの企みを。

 知らず知らずの内に涙がこぼれる。大声で叫びたい衝動に駆られては、すんでのところでそれを抑える。宮中で騒乱を起こすべきではないし、それ以上に、彼はこの場にいることをタモに知られたく無かったから。

「……大丈夫ですよ、陛下」

 彼はそっと戸から離れ、宮中の廊下を歩いて行く。その歩き方は、どこと無くキュウイに似ていた。この動乱の始まりの鐘の音を告げる、オオコシからの手紙。それを手にしたタモのもとへ訪れ、そして去っていったキュウイ。過去の英雄が君主の下から退出する時の歩き方に、どこと無く似ている。

「ケッタは……将軍は、あなたを裏切ったわけではありません……」

 廊下の床板を鳴らさぬように静かに歩き、そして、静かに独語する。

「将軍は、きっと千五百の屍の上に何千もの敵兵を積み重ねます。そのために、あなたを裏切ったように見せかけたのですよ……」

 やがてムソウは、宮中から外へ一歩踏み出した。静かな、全く静けさ以外に何も無い情景が彼を包み込む。その彼の頭の上に、何か冷たいものが当たった。

 彼が自分の頭の上に手をやると、それは瞬く間に掻き消えて、彼の掌に僅かな名残を残した。これは、と思って彼が頭上を見上げると、分厚い雲と地上の間に、うっすらと白いものが舞い降りてきていた。

「雪、ですか……この時期に、珍しいですね」

 遠く南の望天山を見上げると、その頂上は真っ白な雪に包まれているかもしれない。

「そういえば、最近空を見上げていませんね……」

 彼は地上に目を向けた。たまに歩く人が見えても、彼らは一様に下を向いている。おまけに真っ黒な服を着て……それは死人の行列のようにも見え、雪はタモ国に死に化粧を施しているようにも見えるのだった。

「少々、不吉な感じですね……」

 彼はゆっくりと歩を進め、やがて死の国のどこかへ消えた。


執筆日 (2004,09,16)


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