マサシ侵攻策 〜十七〜 |
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オオコシ軍大本営── オオコシ領五番国に位置する、オオコシ軍本拠地である。 ここはオオコシ軍の軍事を決定する重要な機関である。故に、この中でオオコシ軍内のあらゆる問題に対し決定が下されているといっても過言では無く、最終決定を下すのが国主たる人物──オオコシであると言ってもまた過言ではない。つまりは、オオコシ軍大本営の頭脳は、オオコシなのである。 この半ば腐りかけた脳髄が生み出す決定は、大概好結果を生み出さない。そのため、兵力に関して圧倒的な実力のあるオオコシ軍だが、いまだ全土統一を果たせないでいる。 今、大本営の周囲は以下のような状況である。 オオコシ軍は五番国に布陣し、八番国に布陣するマサシと睨み合いを続けていた。マサミチに代わって上がってきたマサシは、新たに徴兵、訓練を施して増強したマサシ軍──六千の兵を従えている。マサシ領の回復力は素晴らしく、一時期は低迷した軍事力も、オオコシ軍主力とだけなら互角に争える程度に回復していた。これではオオコシも大本営を離れるわけには行かず、マサシを叩くか、それともやめるか、無い知恵を絞って必死に考えているのであった。 そのオオコシがヒカルからの手紙を受け取ったのは、旧暦1561年八月の終わりのこと。夕日は天を朱色に染め上げ、今しも夜と交代しようという時刻。そらを飛び交う一個の流星のごとき素早さで、手紙を手にした一兵士がオオコシの元を訪れた。 オオコシはヒカルからの手紙を受け取ると、それらに全て目を通し、暫く悩んだ。 「一番国、二番国は遠隔地とはいえ、食糧事情を考えると捨てるわけにもいかぬ。ここは援軍を送らねばならんであろう……念のため、四千程度の数を送れば良いか」 もしそうすると、五番国と八番国の兵力はほぼ同等というところである。同等ならオオコシ軍はマサシ軍に対して優位を保つことが出来る。 だが、ヒカルの方はどうだろうか。頭脳が働くといっても、戦いに関しては全くの素人に近く、兵士の統制に向いているとは思えない。いきなり四千の大軍を手にしても、総数は六千になるかどうか。ミキヤほどの将軍ならば、その程度の不利を跳ね除けてしまう可能性もある。ヒカルでは不安だ。では、どうすれば良いか? 少なくとも、確実に勝利を収めるためにはミキヤと同格の将軍が必要になる。それほどの将軍は、オオコシ軍にただ二人──オオコシ自身と、ケンタロウのみ。両方ともマサシを睨みつけている状態であり、迂闊に場を離れるわけには行かない。特に首都を守るオオコシが動くことは致命傷になりかねない。ここは、ケンタロウを動かす以外に無かった。オオコシ領の端から端を横断……一見無謀な策に思える。 だが、これは可能な策であった。オオコシが動いたのであれば、将軍のいない首都がマサシに突かれることになる。ケンタロウが動くなら、マサシはそちらを突こうとするだろう。 「……果たして、臆病者のマサシにその程度の小細工が出来るかな?」オオコシは不敵な笑いを浮かべた。 マサシが七番国を突こうというのなら、八番国を手薄にしなければならない。もしマサシが動いたというのなら、そこをオオコシが叩く。そして、八番国を手にすることが出来るのである。マサシはオオコシ領の辺境とも言える七番国に閉じ込められ、マサシ領からの補給を断たれる。後ろ盾の無いマサシなど、オオコシ軍にとっては単なる弱小な獲物に過ぎない。 「ケンタロウを動かすか……しかし、援軍自体はこちらから出さねばならぬ。七番国の戦力は削れぬな」 統制の取れていない援軍と、統制は取れているが到着の遅い援軍。迅速な軍事行動が必要な際に、兵士がいなくては何の意味も無い。まずは兵士の輸送だけ行い、その後ケンタロウを動かす。 ちなみに、この時オオコシが取った戦法は後々の戦いに大きな影響を及ぼすことになる。 騎馬軍の本格的な普及が始まったのである。 旧暦1500年代前半、まだこの頃は戦いと言っても歩兵を使った戦いが主流だった。馬に乗るのは一部の指揮官、兵卒長程度のものであり、戦争は数で行うものだった。この時代、まだ馬は高級な乗り物だった(農耕のための馬はいたが、戦争には役に立たなかった)。唯一タモ国では牛馬の飼育技術が確立されていたが、それは重要な機密であり、他国には中々流れ込まなかった。 ところが、旧暦1551年に革命的な戦いが起こった。 戦争が仮眠をとり、大陸に短いながらも平和が訪れるきっかけとなった戦いである。その名を「中流の合戦」という。 当時、軍事力、国力とも四勢力中最大で、大陸統一は間違いないと思われていたのはマサシ国である。マサシは一時的にオオコシと同盟を結び、大陸全土──特にタモ国とリョウマ国──は張り詰めた糸のような緊張状態に陥ることとなる。 時は1551年八月。広河の水量が低迷したのを機に、マサシ、オオコシ連合軍一万とタモ軍四千が対峙。圧倒的な兵力差で、ほぼ間違いなくマサシ、オオコシ連合軍が勝利を収めると思われた。 だが、ここでタモ国の大黒柱、キュウイが動く。後に「名将と言う呼称はキュウイにのみ当てはまる」との格言さえ生み出した天才武将は、この時タモ大王に向かってこう告げている。 「四千もの兵力があれば、連合軍を撃退することは十分に可能です。ただし、馬を四千頭用意していただければ、の話ですが……」 こうして四千の騎兵を用意したキュウイは、広河を渡り侵攻してきた連合軍に多大なる屈辱と苦汁を舐めさせることに成功した。移動速度は話にならぬほどであり、迫り来る馬群に対して、連合軍は右往左往するしかなく、幾つもの塊に分断させられた。キュウイは塊ごとに全兵力をぶつけ、連合軍が救出に向かいに来ると、即座に場を離れ、次の塊へと向かう。時には本隊に馬群を突っ込ませておき、分散したところを叩くという戦法も取った。連合軍は瞬く間に壊滅し、オオコシ、マサシ連合軍は広河の向こう側に大量の屍を晒したまま帰還させられた。 それ以来、馬の価値は大いに高まり、各陣営は馬の生産に励んだ。旧暦1561年の時点で、オオコシ軍は六千の軍馬を所有していた。また、馬の血統などを研究させ、より持久力のある馬、より速力のある馬を求めた。このようにして、戦場に新たな移動手段が登場するまでの間、馬は戦争における重要な位置を占めることになるのである。 この時オオコシ軍が決断したのは、異例の措置であった。大切な騎兵六千の内四千をヒカルへまわすというのである。勿論、歩兵では援軍が間に合わないという理由もあるのだが、何はともあれヒカルはかなりの優遇を受けたことになる。 その後、オオコシはケンタロウを呼び寄せ、ヒカルへの援護に向かわせた。ケンタロウは随分と渋ったが、結局オオコシの決断を受け入れざるを得なかった。 但し、この決断に、オオコシの元に届いた数通の手紙──タモ国からの手紙──が影響を及ぼしていたことを知る者は少ない。
三ヵ月後、事実を知る者の一人は悪夢にうなされていた。 無理な戦いを繰り返し、全身に重い傷を受け、深い疲労感に蝕まれていたケッタは、こんな夢を見ていた。 まだケッタの兄、キュウイが存命だった頃の話である。タモ国に一人の男が兵として志願して来た。オオコシに戦いを挑まれる数年前のことである。その男は片腕に剣を、もう片方の腕に幼い子供を抱いて、タモ国の兵になるために志願した。格好は、まるで──オオコシ軍のようだった。 中ほどで折れた剣、額から滴る血、傷だらけの鎧……全てはその男が敗走兵だと名乗っている。だが、右腕に抱えられた子供は怪我一つ負わず、綺麗な服を着せられていた。その姿を見て、キュウイはすぐさま男の傍に駆け寄る。ケッタは、その様子を近くで窺っている。 「我は……ご覧の通り、オオコシ軍の兵士だった男だ」 「過去形で語るか、珍しいな」と当時のキュウイ。「タモ軍に何か用があるのか?」 「……見ての通り、我はただの兵士に過ぎぬ。オオコシ軍の兵士として、戦うのをやめた男だ……。故にオオコシ軍にとっては裏切り者に過ぎぬ」更に続ける。「この身一つなら死ねようが、この子を残して死ぬわけにもいかんのでな……」 子供は怯えたような目でキュウイたちタモ軍を見やり、両手で父の服を握っていた。 「キュウイ殿は名将と聞く……どうか、我らを受け入れてくれまいか……」 キュウイはケッタの方を向く。「どう思う?」 「さあな……兄者が決めるべきことだろう」とケッタは答えた。 キュウイは男とその子供の方に振り返り、聞き返す。 「オオコシに対する忠誠は捨て去ったか?」 「……我が妻子までも手にかけようとする男など、拝むべきでは無い……何より、オオコシは裏切り者に容赦の無い冷酷な男だ……今更這いつくばって許しを請うぐらいなら、いっそ自害したほうがいい死に様になろう……」男はちらっと子供の方を見た。「だが、それも出来ぬ」 「受け入れよう」キュウイは答えた。実にあっさりとした、明確な答えだった。ケッタも特に反対はせず、その出来事を受け入れた。男は地面に手を突き、キュウイに対して深々と礼をする。 「だが、その前に聞かなければならない……貴殿の名は?」 男は答えた。我は、シュンエイと申すものである。それから、この子の名はコウラン……。
夢は突如として急展開を見せる。ケッタの兄が消え、辺りは荒涼とした広原となった。闇黒がケッタの周囲にまとわりつき、精彩を取り戻した男はタモ国の一兵士となった。その前に、あの男──もう一人のケッタがいる。悪魔的な考えに取り付かれた猛虎が。 (「陛下の邪魔はさせん、我を倒してからにしろ」) (「ほう、このケッタとやりあうとは……お主、やるではないか。我が配下に加われ、優遇してやるぞ」) (「黙れ、裏切り者が」) (「全く、素直であれば長生きできたものを……」) (「──!!」) そして、男は血を流してその場に倒れる。血にまみれたその顔がケッタの配下の一人となり、言う。「あの子に刺されて死んで下さい」 そこへ短刀を持った子供が現れた。その短刀は、父を殺した男の胸に突き刺さる。傍観者のケッタはその変化を見ていた。小さな子供の背がだんだん伸びてきて、顔も苦労知らずの幼子から、少年のような、やや中性的な顔立ちになる。その変化は憎悪の増幅とともに激しく増していく。「忘れたとは言わせないぞ」 亡霊のようなタモの姿が現れ、ケッタに言う。「ケッタよ、これはどういうことだ!我に反逆の意思があるか!」 「違う!」傍観者、ケッタは答える。「俺は、裏切り者などではない!」
(……夢か……) 悪夢にうなされて飛び起きたケッタは、全身に汗をかいていた。体中が熱く、汗がとめどなく流れ落ち、彼の寝床を濡らす。全身にまだ疲労感らしきものが残っており、頭がはっきりとしない。ここはどこだと辺りを見回すと、視界の端に一人の子供が映った。腕組みをして、ケッタの方を睨みつけている。「二日振りだな、お目覚めかい」 「ああ……お前は……そうか、コウランか。俺は……二日も寝ていたのか」そして、ぼそりと呟く。「俺を殺さないのか」 「お前は殺したいほど憎い……」コウランは一回言葉を切り、「でも、もうお前は単なるクズだ、殺す価値さえ無い」吐き捨てるように言った。 「適当な理由をつける辺り、父親と同じだな……所詮、人間は自分の命が惜しい」 「なんだと……」コウランは全身を震わせてケッタを睨みつけた。 「俺を殺せば、お前はオオコシ軍に処刑される」 タモを裏切ったケッタは、今やオオコシ軍の客将である。それを殺したとなれば、オオコシ軍の軍法にかければ間違いなく死刑宣告が下されるだろう。 「……まあ、おかげで俺も生きているわけだからな。感謝する」 意外な辞令に驚き、コウランはケッタから目を逸らす。 そこへ一人の男が入ってきた。扉を開け、ケッタに顔を見せた男は髭面の男。ケッタを迎え入れるという重大な任務を帯びた、オオコシ領六番国将軍代理補佐、ヘウ。彼は今回の一件で、代理補佐という適当過ぎる役職名から脱却できると聞き、張り切っている。 「起きたようだな、ケッタ将軍」 「ああ……どうやら、俺は生きているようだ……」 「体調が整い次第、陛下に謁見していただきたい……今は、無理か。明日にでももう一度訊ねよう。お主の調子が整い次第、ここを出発するが宜しいか」 「ああ、ご苦労」 「ところで、あの少年は……?」 ケッタは一旦コウランの方へ目を向けた。 「少年ではない、奴は俺の召使だ。手を出したら承知せんぞ」 「なっ……!」コウランが絶句する。ヘウは事態を飲み込み、「了解した」と言ってその場を立ち去った。 邪魔者が去った後、部屋に残った二人は対峙する。コウランは再びケッタを睨みつける。 「俺がお前の召使って、どういうことだよ!」 「そう言っておけば問題あるまい」ケッタは答える。「オオコシ軍は裏切り者に対して容赦無いからな……わざわざ裏切り者の子供と言って、命を削る必要はあるまい」 「ちょ、ちょっと待て、どういうことだよ!」 「お前の夢を見た。お前の親父がお前を腕に抱えて、タモ国に流れてくる時の夢だ」 コウランは絶句した。それは今まで一度も知らなかった事実であり、自分がよりによって忌まわしい「オオコシ国の血」を引いているなど、考えたことも無い事実だった。面影の中の父親は常にタモ軍であり、勇者であったから。 「そんな……嘘だよ!」 「事実だ。お前が何と言おうともな……それに、俺は女子供は……特に女は殺さない主義なんでな」 コウランは動揺をやめ、静かに、冷ややかにケッタを見下ろした。「どうして分かった?」 「夢の中で、お前の親父が抱いていたのは、女の子だったんだよ……全く、二歳か三歳でも人間の性別ってのは分かるもんだな」 「……俺は、男だ」 「強情だな。お前の親父の育て方が悪かったのか?」 「俺は、ずっと男として育てられてきた……だから、男なんだよ!」 コウランは反発した。彼──否、彼女は自分の存在を否定され、戸惑い叫ぶ以外に何も出来ず、ケッタをののしり続ける。三分も経つと、ケッタは呆れるしかなかった。 「やっぱり、お前を殺せば良かったよ」とコウラン。 「……まあ、そのぐらいでやめておけ。オオコシ軍に聞かれたらお前の身が危険だろう」 「どうして、俺を救った?」 「……俺が救ったのではない……」だんだん朦朧としてきた頭を押さえ、ケッタは言葉を続ける。「お前の運が良かったために、命を落とさずに済んだのだ……暗殺を企てながら生きながらえるなど、滅多に無い経験だぞ」 「ふん、じゃあお前はよっぽど悪運の強い奴なんだな」 コウランは一つ憎まれ口を叩くと、さっと身を翻し、廊下に出て行く。 その後姿を見て、一人となったケッタは独語した。 「……俺は、運が強すぎる……」 そして、朦朧としたケッタは意識を失い、深い眠りの闇の中に引きずり込まれた。 執筆日 (2004,09,07)
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