マサシ侵攻策 〜十六〜

 

 

 オオコシ領二番国──

 援軍の到着を(正確にはオオコシが援軍を送ろうと決断してくれることを)願いつつ、ヒカルはある男の到着を待っていた。

「ヘイは来たか?」

 部屋の戸を開けた男に聞く、だが、帰ってくる返事は「否」である。

「やつが援軍を率いてくれんと困るのだ。ただでさえ相手が強いのに、オオコシ軍本隊から援軍が届く……と仮定しても短くて三、四ヶ月かかるのだからな。その間にリョウマ軍に叩きのめされては何の意味も無い。せめて持ちこたえるだけの戦力が要る」

 そんな愚痴を聞いてか聞かずか、またしても部屋の扉が開けられた。

「ヒカル将軍、ヘイ殿のご到着です!」

「ついに来たか! ……とりあえず、遅いと一喝してやれ」

「それが……ヘイ殿はただ今交戦中なのです」

「……それをもっと早く言え! 敵は誰だ、リョウマ軍か?」

「いえ……我が本営の門番です」

「なにぃ?」

 ヒカルの顔が、困惑に歪んだ。

 

 その頃。

「だから、どうして僕が狙われるんだよー!」

「ヒカル将軍の命を狙う怪しい奴、成敗してくれるわぃ!」

 ヘイと対峙しているのは、昨日の門番である。二槍でヘイを狙い、蛇のようなしつこさでヘイを追い詰める。ヘイもヘイで、何とか門番の一撃をかわすが、武芸の腕前が腕前だけにその槍を折るとか、上手く槍を奪うとか、へし折るとか、得意の体術に持ち込むとかそういったことが出来ずにいる。

「だから敵じゃないんだって……はっ」

「甘い、わしのが槍術を甘く見るでない!」

 さっきまでヘイの耳があった場所を、見事に貫く。ヘイは何とかかわしたものの、老兵の第二撃に対する備えが不十分であった。門番は、そこをつく。

「てぇい!とりゃぁ!」

 ヘイはそれさえもかわす。闘いが始まってから、もう三十分以上も逃げっぱなしであった。老人の体力も底なしだが、ヘイのしぶとさも、本能的な素早さも常人を逸していた。

 ヘイに率いられていたはずの九百兵は、ことの成り行きをただじっと見守っている。「そこだ、やれー!」と無責任に野次を飛ばす者や、実況中継を行う者まで現れ始めていた。

「はぁっ、はぁっ……誰か、助けて……」

「不届き者め、これで終わりじゃっ!」

 老門番はさっと槍を高く掲げた。ヘイは上からの攻撃に対応できるように構えを取る。

 しかし……

「甘いっ!」

 老門番のそれは詐術に等しかった。上から槍を突き下ろすと見せかけ、もう一方の槍で足払いをしたのである。疲労が頂点に達していたヘイは、見事なまでに足を取られ、うつぶせになるように大地に倒れた。息も絶え絶えになり、ヘイが後ろを振り向くと、そこに老門番の顔が……いや、槍の鋭く光った先端があった。

「王手じゃ」

 老人は、かすれた声でそう宣言した。オオコシ軍九百の兵から歓声が上がり、ヘイは真っ青になった。このまま自分は死ぬのではないか、その思いがヘイを捕らえ、頭の中には過去の思い出が走馬灯のように回り始める。

 ヘウと一緒に育ったあの日々、二人で仲良く遊んだ日々、殴り合いの果てに生まれた男同士のむさ苦しい友情、ヘウの髭が生え始めた日、ヘウと共にオオコシ軍に入り、そして……

「い、嫌だ! そんな思い出を見ながら死ぬのは嫌だー!」

 ヘイは気分が悪くなり、本気で拒絶した。

「何を言っておるか、さあ、もう思い残すことは無いか……」

「沢山ある! ありすぎるほどある!」

「ほう、無いか……」

 相変わらず耳が遠い老人だった。オオコシ軍九百の兵の中には、「ついにヘイ将軍代理補佐、弱さを露呈! 老人相手に王手の宣言を受けた! ここから逆転の機はあるのか!? それともこのまま老人のお縄になるのか、さあ最終ラウンドのゴングが今鳴り響き……」という実況中継がこだまし、誰もが勝負の行方を見守っていた。誰もヘイを助けようとはしなかった。

「何をしている」

 その場にやって来たヒカルは愕然とした。まさにヘイが殺されそうな状況である。門番は告げる、

「ヒカル将軍の命を狙う不届き者がおりますじゃ、わしが片をつけますぞ。将軍は黙って見ておればいいのですじゃ」

「何を言っているのだ、そいつこそ一番国の将軍代理補佐だぞ! そやつが援軍を率いてやって来てくれているのだ。さっさと槍をどけて、中に入れろ!」

 ヒカルは、いかにも落ち着いた口調で、大声で叫ぶ。

「この不届き者が……こやつが、将軍代理補佐じゃとっ!?」

 老門番はあんぐりと口をあけ、信じられないという表情で、コテンパンに叩きのめした相手を、穴が開くほどまじまじと見つめた。

「確かに、敵将にしては間抜けな面をしていると思ったのじゃが……」

 

「遅い!」

 ぼろぼろのヘイを座敷に通し、ヒカルが行ったのがその一喝であった。

「先日はリョウマ軍の敵襲を察知したから良いものの、もし出来なかったらどうなっていた。我らの軍はミキヤに瞬間的に滅ぼされ、そして今日のこのことやって来たお前の軍も皆あっさりと撃破されていただろう」

「しかしですね……昨日から実はこちらに、その、着いていたんですが……」

「ならば何故戦場に現れなかった!」

「ちゃんと戦ってましたよ……だから我々オオコシ軍が勝ったんじゃないですかっ」

「怪しいものだな……」

 ヒカルは疑いの視線を向けた。勿論、ヘイに。

「まあそれは良い、それで、お前の率いてきた兵は何名だ」

 ヘイは答える。「およそ九百ですよ、やる気が無いのが集まってますが」

「それはきっと、指揮官の問題だ……我が兵が約千、併せて千九百だが、ミキヤの兵はその二倍を越える。果たして持ちこたえられるかどうか微妙なところだな」

 ヘイとヒカルは全く同時に腕を組み、考え込んだ。

「援軍は来るんでしょ?」

「……」

 ヒカルは答えない。代わりに謎めいた笑みをヘイに返すだけだ。ヘイの顔に脂汗が浮かぶ。

「……策は、あるんですか……」

「ほんの数日、時間稼ぎをするだけなら無くは無いだろうな……ヘイ、耳を貸せ」

 ヘイは、息を吹きかけられるかとビクビクしながら、同時にそれはヒカルのやる事では無いと安心しながら、更にやるかもしれないという不安な気持ちを抱えながら……結局こわごわと耳を傾けた。

「こういう作戦だ……」

 真昼の密室で、作戦が伝授された。

 

 一方、水上に戻ったミキヤとリョウマ軍。

 彼らは、数は少ないながらも強固なオオコシ軍に対して攻めあぐね、上手い手を考えて……いたわけではない。

 数の上では圧勝なのだから、ゴリ押しで攻めても問題なく勝てるのである。彼らは次の戦闘に備え、英気を養っていた。ミキヤこそ腕組みをし、何とか効率的に攻められる作戦を考えはしているものの、他は皆寝るか食べるかに専念している。腹が減っては戦が出来ぬ、の典型であるらしい。食糧、水、それらを獲得し難い水上でありながら、彼らの食糧事情は豊富だった。対岸までは大分距離があり、オオコシ軍の奇襲を受ける可能性も低い。

 あまり時期を計ってばかりいては、オオコシ軍の戦力が増強される可能性もある。

 何しろ、敵は陸地。こちらは広河の上である。向こうは援軍を手にしやすい位置にあるが、こちらは援軍の期待は出来ない。オオコシ軍の戦力が弱い内に叩いておきたい。

 そのためには、何としても今日か明日には攻めたい。

 その出発の時を決めるために、ミキヤは悩んでいるのだ。

 その時に待ち受けるであろう運命を知らずに。

 

 それから約二ヶ月半後──タモ国──

 タモ軍とケッタ軍の間を、不気味な沈黙が支配している。

 全ての者が戦い──いや、ケッタ軍にとっては闘いだろうか──すらやめ、じっとケッタを凝視している。秋風に砂埃が舞い上がり、戦場を不気味な風の音が支配する。ケッタ軍副将は剣を大地に突き刺し、ケッタの方を振り返る。タモは、戦場の兵士に戦うなとの指示を出した。元は同じタモ軍、そう指示が出れば、お互い戦うのを止める。

 ケッタ軍副将、ムソウはケッタに口を利いた。

「どういうことですか、将軍」

 ケッタは答える、「オオコシ軍は間もなく到着する。我らを救うためにな……」

「聞いてませんね……それより、私はこの出兵の理由をこう聞いたのですが……『このままタモ王に任せれば、タモ国は傾き、三強に挟まれたまま死んでしまう。だからこそ、現体制を変え、強いタモ国を作るためにタモ王から位を簒奪する』と。あなたはそう言った。そして、事実私もその通りだと思いましたよ。ですが、何故ここでオオコシ軍が出てくるのですか?」

 ムソウは大地に突き立てた剣を手に取った。素早くそれを引き抜き、構える。

「返答如何では手加減しません。何故ここでオオコシ軍が出るのか、お答えください、将軍」

 ケッタは笑った。ムソウに向き直り、彼を嘲笑うかのように笑った。

「我が重臣よ、お前はそのような口実に惑わされたのか。あくまでもそれは口実に過ぎん、俺がオオコシ軍に取り入られる為の口実にな。俺はタモ国を潰すつもりだったのだ、タモ国を裏切り、そして国もろともオオコシ軍に身売りするのだ。そうすることで、オオコシ軍の中での俺の位置は確固たるものとなる」

「ほう、そういうわけですか……私は騙されていたんですね。いや、ケッタ軍であったもの全体が」

 ムソウは続けた。

「高潔な武人であるはずのあなたがね、まさかそういう考えを持っていたとは思いませんでしたよ。私は売国奴に味方したつもりもありませんし、もとよりタモ国民です。オオコシ軍に対する感情は、いくら親切にされても変わりそうにありませんね」

「このまま戦っても、オオコシ軍に勝てるはずも無い。勝てもしない分かっていても、強い者に屈するのが嫌か。戦って血を流すよりは、戦わずに降伏すべきだとは思わんか」

「嫌ですね。降伏した後の我々に待つのは、血の歴史でしょう。それも途絶えることを知らない……それなら、戦って血を流した方が好きなんでね」

「しかし、それももう遅い。四番国はオオコシ軍本隊に占領されている頃だろう。四番国を空ける期日、前もって知らせておいたのでな」

「そうですか、それはまた粋なことを……」

 ムソウは冷静に怒りを抑え、剣を構えなおす。剣先をケッタに向け、威嚇の姿勢をとる。

「それでは、もはやあなたとは別れねばなりませんね……ここに宣言しましょうか、ケッタ軍副将は、大将を裏切ることを。準備はいいですか、将軍……いや、もはやあなたは裏切り者のケッタでしかない……」

「俺に剣を向けるか。やってみろ、やれるものなら……」

 ケッタも剣を構える。その切っ先はムソウの方を向いている。

「……敵が私だけだと思っているんですか?もうあなたを守る人はいませんよ」

「どういうことだ……?」

 ケッタの周りにいたはずのケッタ軍は、皆剣を大地に突き立てていた。降伏だ。降伏だと口々につぶやき、ケッタを裏切るという意志を隠そうともしない。

「副将にさえ見捨てられるあなたを、どうしてその部下が見捨てないと言うのですか」

「そうか、俺は完全に孤立したというわけだな」

「そうですよ。あなたにはもう表舞台に立つ機会は無いでしょうね」

 一瞬だった。

 一瞬の内に彼の剣はケッタの額を捕らえていた。

 ケッタも避けようとしたが、完全には避けきれず、額を切る。かなりの出血が、ケッタの目を、鼻を、唇を塗らす。ケッタの受けた衝撃は大きかったが、それ以上に精神的な深手を負った。

「……残念ですね、あなたならもう少しやれると思ったのに……」

「……」

 今や二人の立場は逆転していた。

 ケッタは黙って起き上がる。そして、長剣を取る。

 これもまた一瞬の早業だった。

 ケッタの振り下ろした長剣が、見事にムソウの剣を粉砕していた。

「流石、ですね……手負いの獣は強いというわけですか」

「……黙れ」

 今や二人の立場は再逆転していた。だが、ムソウは余裕の表情を崩さない。彼の後ろで、副将を、またタモ軍に舞い戻った一人の勇者を救おうと、タモ軍が戦闘態勢を整えている。

「私の首を取るのも今の内、降伏するのも今のうちですよ……慈悲深いタモ王なら、あなたを許す可能性もあるかも知れませんね……」

 だが、ケッタはそのどちらも行わなかった。単なる意地なのか、それとも戦略なのかは分からない。しかし、彼は元副将に背を向け、走り出したのである。

「裏切り者を殺せ! 取り逃がすな!」

 タモ軍の中で痛烈な叫びが上がる。もはやケッタは、一人の傷ついた裏切り者でしかない。その首を求め、タモ軍は彼の後を追いかける。

 ケッタは走る。自陣の元へ戻りさえすれば、人質もあるし、馬もある。そこまで上手く逃げ切れば成功である。後ろからは彼の副将が、タモが、約五千に膨れ上がったタモ軍が、彼一人を捕らえようと追いすがる。だが、彼は懸命に逃げた。ここを逃げねば命は無い。未来も無い。

 そして、意味さえも無い。

 この時、タモ軍の中から歓声が、むしろ悲鳴に近いものが上がった。

「オオコシ軍だ!」

 不気味な鎧を着た戦闘者、殺戮者集団が大量の兵を率いてそこにいた。

「助かったな……」

 彼は何とか自分の命が助かったことを悟った。後方に控えるタモ軍は、オオコシ軍を恐れて矢を引くことも出来ず、ただその様子をじっと見ている。

「お主がケッタか?」

 髭を生やした男が、ケッタに聞く。

「ああ、そうだ……オオコシ軍に仕官しに来た……」

「オオコシ陛下からお主の働きは聞いている。四番国は我らオオコシ軍の占領下にある」

 普段とは全く違う、もったいぶった物言いをするのは、オオコシ領六番国将軍代理補佐、ヘウ。

「そうか、それは良かった」

 自嘲気味に笑うケッタ。彼は後方のタモ軍を指差し、

「戦うか?」

 と聞く。しかし、

「我らがここに来た目的は戦いではない、あくまでもお主を救うためだ。者ども、物資は奪え、人質は捨てろ。どうせ奴らにオオコシ軍に対する忠誠などあろうはずもないからな」

 ヘウの言葉で、一斉にオオコシ軍が動く。略奪の大得意な軍だけあって、それは手早く終わった。物資を運ぶ馬は完全に一つにまとまり、一個の歩行する馬のようにも見える。

 オオコシ軍は、慎重に引き始める。タモ軍はその後を追おうとせず、解放された人質を救うのに必死だった。撒き餌だな、と思いつつ、ヘウはケッタをつれてオオコシ国に戻る。四番国に近づくに連れて、ヘウたちオオコシ軍は、だんだんと歩を早めていった。

 その頃、コウランはようやく目を覚ましたところだった。縛られた縄を解こうと頑張り、その挙句に疲れきって寝ていたのだ。そして、何故か物資ごと自分が移動しているのに気付き、コウランはすぐ傍の馬の背中に乗っているケッタに向けて、大声を上げる。

「おい、ケッタ! どういうことだよ!」

 そして、気付く。周りをオオコシ軍に囲まれていることに、ケッタが額から血を流していることに。

「お前か……まだ、そこにいたか……」

 ケッタの声は少し朦朧としていた。「結局、俺に付いてきたのはお前一人か、俺も信用を無くしたもんだ」

「お前らに縛られたせいで動けなかったんだよ!」と、コウランは反論する。

「まあ、しばらく静かにしておけ」とケッタは言った。「もはや俺はお前の生殺与奪を握っていないのでな、生きたければ大人しくしておくがいい……何しろ、オオコシ軍は厳しいからな……」


執筆日 (2004,08,04)


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