マサシ侵攻策 〜十五〜 |
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リョウマ軍がオオコシ陣営二番国に到着した頃── 二番国本営前に怪しい男が突っ立っていた。 「さあさあ、やってきましたヘイ様のご登場ですよ。ヒカル将軍に会わなきゃね。ちょっと真夜中に叩き起こすぐらい、笑って許してくれるでしょう。何しろ、このヘイ様が兵を率いてわざわざやって来たんだからね……ぷぷっ、クスクス……うん、上出来上出来、ヘウじゃこんな洒落た台詞は思いつかないよ。じゃあ、ちょっくら挨拶に伺いますか、コンコンっと」 ヘイは二番国本営を閉ざす門に触れた。 「…………何者じゃ……」 「だ、誰だっ!」 地の底から響くような不気味な声に驚き、ヘイはビクつきながら声の主の方を向いた。 門の左の柱に、門番が立っていた。白髪を生やした老齢の門番で、背はヘイより僅かに低い。だがヘイを睨み付ける眼光は鋭く、蛇が獲物を見据えるようにヘイをじっと監視した。身に纏う重厚な鎧は、僅かな星光にも輝くオオコシ軍独特の趣味の悪い鎧。そして何より、その手に持った長槍が、今にもヘイを刺し貫かんとするかごとく、高々と掲げられていた。 「…………誰じゃ……」 老兵はもう一度尋ねた。ヘイは怯えながらも答える。 「い、いやその……ヒカル将軍に用がありましてですね、はい、決して怪しいものでは……」 「この真夜中、ヒカル将軍に何の用があるというかの、若造……返答次第ではその身を刺し貫いてくれようぞ……」 老人は明らかにヘイを疑っていた。同時に、ヘイを試すような言動にも思えるほど落ち着いたものであった。ゆっくりと長槍を構え、ヘイを威嚇するような動作を見せる。ヘイはいかにも情けない言動を返す以外に、何も出来ない。 「ひ、ひえぇ〜、やめて下さいよぉ……」 「さっさと聞かれたことを答えれば良いのじゃ、さあ、素直になるがよい……」 ヒュッ。 ヘイの眼前で長槍が止まり、ヘイはすんでのところで失神するのを抑えた。何とか槍を見まいと努力しているのか、目を閉じたり開いたりと忙しい。ヘイは長いことかかって、ようやく口を開いた。 「ヒカル将軍に会いに……ヘイを……兵を率いて、ヒカル将軍に会いに来たんです……自分は、その、一番国のヘ……」 「兵を率いてじゃとっ!」 老兵は怒った。目を剥いて、真っ赤に上気した(ように見える)顔でヘイを睨み付けた。今度は老兵が震える番で、白髭が細かく上下する。だが、それは武者震いと言うやつだった。何を隠そうこの老兵、実は耳が遠く、ヘイの言葉が上手く聞き取れないのである。老兵は、兵を率いてという言葉から、ヘイを敵軍の将軍か何かと勘違いした。真昼間ならヘイのことを一番国のヘイだと分かったかもしれないが、何しろこの門番、軍内部の事情に余り詳しくない。ましてや夜である。 「将軍の命を狙う不届き者め、成敗してくれる!」 キエェー!という掛け声と共に、老門番はヘイに踊りかかった。緊張して体がガチガチに固まっていたヘイだが、流石に間一髪のところで門番の攻撃をかわすのに成功した。しかし、門番も負けずに槍を振るう。ヘイは二連続の長槍攻撃を立て続けにかわすと、さっさと門前から逃げ出した。 「むう、逃げ足だけは速い奴め、まていっ!」 老門番も必死に足を動かし、ヘイを追いかける。鍛えているのだろうか、年の割には足が速く、ヘイを驚くべき速度で追い詰める。今度はヘイの方が必死になり、全力疾走を開始した。何とか味方のところまで戻れば、誤解も解けるに違いないと言う判断である。ヘイは星光の乏しい暗闇を走る。 「どうして、助けに来た僕が追いかけられなきゃいけないんだよぉ……」 それは誰にも分からない。敢えて原因を挙げれば、ヘイのへっぴり腰だろうか。 三分ほど走って、ヘイはようやく自軍の姿を見つけた。900近いその数が闇の中を蠢いている。それは間違いなくヘイが率いてきた仲間であり、ヘイにとっては自分の巣である。ヘイは巣の中に飛び込んだ。 すると、それを見て老門番は悟った。間違いない、この数、ヒカル将軍の首を取りに来た敵軍に違いない、と。 「敵襲ー!敵襲じゃー!!」 老門番は大声を上げながら二番国本営の前まで全力疾走した。へばっているヘイはもう追いつく気力も失せたが、門番を撒けたことにとにかく安堵した。 「た、助かった……でも、どうしてあんな奴が門番なんだよ……恨むぞ、ヒカル将軍」 しかし、このヘイの安堵は一瞬のうちに打ち破られることになる。 敵襲との報せを受け、二番国本営内部に衝撃が走った。二番国を預かるヒカル将軍もすぐに目を覚まし、敵襲に対する準備を迅速に整える。僅か千程度の兵はすぐに整えられ、敵襲との報を聞き、全員の眠気は飛び、士気は急上昇した。迫り来る敵軍に対する準備は完璧なものとなる。 遠くで法螺貝の音が鳴る。 「敵襲だ!ついにリョウマ軍が来たぞ!各部隊は隊長に続き、陣を組め!各々の布陣を敷け!」 「御意!」 ついにヒカルの声で全軍に命令が行き渡った。各部隊は各々の布陣を敷き、各所に出回る。誰もが一番の手柄を上げようと神経を研ぎ澄ます。 そんな中、大本営に深く腰掛けたヒカルは、また別のことを考えている。 「それにしても遅い、ヘイは何をしているのだ……戦いの開始にも間に合わんとは、いや全く。役に立たないとは奴の事だ」
その頃、リョウマ軍── ミキヤは戸惑い、舌打ちをしていた。 「何故オオコシ軍がこのようにまとまって行動しているのだ」 ミキヤ達リョウマ軍が合流する前に、オオコシ軍はリョウマ軍を見つけたのである。こうなると、分散しているリョウマ軍の方が不利な戦いを演じることとなり、数の差で圧倒的に負けているオオコシ軍が驚きの成果を上げることとなった。 ミキヤ達が他の部隊と合流しようとすると、またそこへオオコシ軍が現れ、リョウマ軍を蹴散らしていく。その姿は鬼のようである。オオコシ軍は獅子奮迅の働きを見せ、徐々にリョウマ軍の数を減らしていった。何しろ地理に明るいため、暗い夜でも上手い具合に活動できるのである。 「くっ、このままでは埒があかん、一旦戻らんとするか」 ミキヤは片方の手に持つ法螺貝を二度吹いた。退却の合図である。リョウマ軍は一気に退路を進み、海へ戻っていこうとしていた。リョウマ軍の退行は早い。リョウマ軍全員が戸惑い、一旦立て直さなければならないと感じていたからだ。 「全く、何故感づかれたのだ……」 その功績がヘイと老兵の珍問答にあるということは、無論誰も気付かなかった。
三ヵ月後、タモ国── ケッタはついに運命の朝を迎えた。 今までで最悪の目覚めであり、これほど心の晴れない朝は無い、といった状態だった。何とか体を起こし、伸びをする。体が上手く動かない。 「いかんいかん、俺がこんな調子でどうする……」 口ではそう言ったものの、やはり気分が優れることは無い。幾つもの負の要因が絡まりあい、ケッタの心に深い影を落とす。それは奈落の底まで続くような闇に等しい。ケッタはどこまでも落ち込んでいた。朝食にすら、手を付けようとしない。 「気分はどうでしょうか、将軍」 「今まで最悪だな。ムソウ、俺が死んだら全軍を束ねろ、良いな」 「将軍の期待に応えられるかどうかは分かりませんがね。私は副将向きの男なので……それに、あなたはこんなところで死ぬわけには行きませんよ。こんなつまらない戦いで死ぬぐらいなら、あの子に刺されて死んで下さい」 「お前もきついことを言う奴だな……」 ケッタは苦笑した。苦笑しながら僅かばかりの飯を手に取った。
「さて、出陣だ……」
ケッタ軍は歩兵、騎兵合わせて約千五百。兵糧、捕虜の輸送のために五百兵を割き、攻めるのが専門なのは残りの千程度である。それに対し、タモ軍の数は数倍。勿論戦闘に入り次第、残りの五百も戦闘に加わることになるが、それでもタモ軍の方が二倍以上は多いのだ。だが、ケッタは敢えてこの余裕の布陣を敷いていた。タモ軍に対して余裕さえ見せているのである。 これはタモに対して決して弱気にならないという、ケッタの気持ちの表れだった。さらに、ケッタはタモ大王宛に「侵攻する」という主旨の手紙まで送っている。 ケッタ一行(+荷物と一緒に放り込まれたコウラン)は十五番国の内部まで歩を進める。決戦の場所となるのはタモ国王宮前か、それともタモ国の都市内か、タモ国首都より大分離れたこの場所か、ケッタは気を鋭くし、タモの登場を待ち構えていた。 雑踏。そして軍勢の気配。 ケッタの鋭い間隔は、その気配を皮膚の上で捕らえた。漂う闘気はまさしくタモ国のそれ。だが、悲しいかなそれはケッタ軍のものを上回らないのである。 ケッタは馬から下り、やってくる「敵」に対して体勢を整える。 「お久しぶりですな、タモ王……いや、タモ」 「あれから十日も経っていない気がするのだがな、ケッタ。私は失望したぞ」 タモの言動の奥には、静かな怒りが垣間見える。そして、タモの背後には四千を数える兵士が待ち構えている。 「それは俺の台詞だ、タモ。お前との腐れ縁も今日断ち切られる運命にある」 思えば、ケッタの兄、キュウイがタモ国に士官した時以来、ケッタはずっとタモに仕えていたのである。他の随従を許さぬ、タモ国の大黒柱を支える支柱、そしてタモ国第二の重臣……。だが、柱は折れたのである。そして支柱もまた折れようとしている……。 「そうか、ならば仕方あるまい……我々は全力を挙げて、お主を叩き潰すことにしよう。覚悟はいいのだな」 「いつでも来い、俺は逃げも隠れもしない……」 タモが構え、同時にケッタも構える背後に控える兵もまた、同じように構える。避けられない運命を感じ、二つの二大勢力が衝突する。 この時、タモ軍から一本の矢が放たれた。 それは鋭く空気を裂き、一直線にケッタの胸に飛び込んでくる。 「姑息な真似を……」 ケッタはすかさず右腕を動かした。長剣が目に見えぬほどの速さで動き、一瞬のうちにその矢を叩き落した。 戦闘が始まる──
戦況は全く互角に近い状態で始まった。 二つの陣営はお互いに全力を出しつくしている。そうなれば兵数の圧倒的に多いタモ軍の方が強い筈なのだが、何故か戦力は互角である。それだけケッタの指揮する千五百の兵は強いのである。 砂埃が舞い立ち、朝の光が両陣営を照りつける。風情のある十一月の風が吹くが、戦場に居る兵士には、その風情を感じるほどの余裕は無い。汗にまみれた顔で、必死に斬戟を繰り出す。 だが、日が傾くにつれ、戦況はタモ軍が有利になっていった。ケッタ軍は一人ひとりの力こそ強いものの、やはり少数なのである。疲労がたまったところで、回復する暇も無く、次から次へとタモ軍の猛攻が続くのだ。 ケッタ軍副将のムソウは、何とか生き延びていた。相手に投げ技をかけたり、足を切りつけたり……決して致命傷は与えずにタモ軍を処理していく。こうでもしない限り、敵の多さに対して手が追いつかないのだ。 そして、ケッタは相変わらず恐ろしいまでの底力を見せていた。 オオコシ軍との戦役ではケンタロウと互角に闘い、マサシ軍との戦闘では、単身マサシに斬り込んだ勇者である。常に強敵を相手にする故、大きな相手の首を得ることは少ない。だが、雑魚を相手にするのなら違う。タモ軍の兵など、ケッタの手にかかれば赤子も同然。一瞬の内に戦闘能力を削り取られるのだ。それはさながら戦場に荒れ狂う台風のようなもので、誰も近づけない。遠くから矢を射るが、ケッタはこちらをことのほか警戒していたのか、全て叩き落していた。人間業とは思えない実力で、既に何十人と無く天国に叩き込んでいる。生き地獄を見ているものは、その数倍に当たるだろう。 ケッタ軍の猛攻に対して、タモ軍は数の差で何とか押さえ込んでいる。タモ自身は戦場に出ることなく、全体の指揮官として軍を動かす。その才は中々のもので、ケッタですら、時として包囲されることがあった。 そして、戦況はややタモ軍よりに傾き始めた。 ケッタ軍の屍は僅か二百程度、タモ軍の屍は六百にも上るが、疲労度は全く違う。ケッタ軍の猛攻も緩み始め、どこと無く、諦めに近い雰囲気が立ち上っていた。 その状況にトドメの一撃を加えるかのように、ケッタが言ってはならないことを叫んだ。 「持ちこたえろ!オオコシ軍が到着するまであと少しだ!」 執筆日 (2004,07,30)
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