マサシ侵攻策 〜十四〜

 

 旧暦1561年8月11日。

 時は日付の変わり目。暗いが、一里先まで見通すのは難くない、星の光が彼らの航路を照らし出している。天日はリョウマ軍に味方した。対岸の間は狭くなり、小船でも一時間もあればオオコシ領にはたどり着けるだろう。ミキヤはそう踏んでいた。下流の広域に渡る流れは大変緩やかで、星の光が水面に反射し、きらきらと光る魚の鱗が船頭たちの心を和ますこともしばしば。リョウマ軍の兵士達は久々の出兵に意気込みながらも、また同時にかつて無い程の穏やかな気持ちに襲われるのだった。

 リョウマ軍四千の兵を率いるのは、リョウマ軍のみならず、リョウマ国の強大な支柱としてその名を全国に轟かせるミキヤである。今回も万全の策を練り、オオコシ領二番国を手に入れようという計画を実行に移している。

 船での移動にも決して油断せず、常に注意を払っている。丁度リョウマ領とオオコシ領の境目辺りだが、先発した斥候部隊(偵察、報告を主目的とする部隊)は既にオオコシ領にたどり着き、対岸の様子を調べているはずである。

 ミキヤは星を見た。

 雲一つ無い星空に浮かぶのは、満点の天の川。凶星めいたものも無い。彼らの前途はたいそう明るい。現実の道だけでなく、暗示的な道もまた同じ。

「さて」と、ミキヤは立ち上がる。重々しい熟練の将軍の、それは威厳であった。さほど大きい声ではないが、その重さと圧力において、場を圧倒するだけの実力ある言葉であった。

 瞬時に場の空気が引き締まり、朗々とした声が全員に届く。

「我らがリョウマ大王のため、今宵の勝利を得ん。皆のもの、剣を抜け!」

 彼の言葉に反応してか、数千の兵が各々の剣を高々と揚げた。夜空の星が剣先に降り注ぎ、水面に反射する。綺麗とも壮大とも言える絵画的な光景が、この日の広河に刻まれた。

 訓練された強兵が一つの塊となり、まさにオオコシ陣営を攻撃せんと、その進軍を続けている。それは旧暦1561年8月12日のことであった。そして、オオコシ陣営へ攻撃を加える、およそ十五分前の出来事だった。

 

 リョウマ軍四千の兵が広河のオオコシ領側に近づいた。すると、それを待っていたかのように小型の船舶が二、三艘近づき、中から数名の兵が現れた。見たところ軽装、全身が濡れている者もある。ミキヤの放った斥候部隊である。

「ミキヤ将軍!調査結果を報告いたします」

 内一名が将軍の船へ参上し、対岸の様子を報告する。

「よし、対岸の様子はどうだ」

「オオコシ軍の見張りが計二十三名、その他の人影は見られず、また海中にも潜んでおりません。船舶を直接攻撃されるような事態は避けられそうです。見張りに重火器、遠距離攻撃用の武器は無く、手持ちの刀を除けば全く危険性がありません」

「して、船舶が停泊できそうな場所はどこだ」

「こちらです、ご案内しましょう」

 斥候の一人は自分の船に戻り、ミキヤら本隊を誘導するために船を漕ぎ始めた。

 ミキヤが小型──と言っても丸木舟より小さいと言ったようなちゃちなものではない──の船舶を選んだのには、このような理由もある。敵たるオオコシ軍が大型船舶に対する警戒を解くことは無い。故に、船底に傷をつけられるような大掛かりな仕掛けを、海底に仕掛けることもある。

 しかし、小型船舶ならどうか?大型の戦艦と同じ対応で追い返すことは出来ない。

 一年近い時間的な猶予はあったものの、小型船舶での奇襲はこれが初である。大型戦艦では乗り付けなかった場所にも、小型船舶なら不可能ではない。果たしてオオコシ軍がそれに気付くだろうか?

 一向はテキパキと動き始めた。部隊ごとに斥候をつかせ、舵取りを任せる。安全な場所に上陸するため、この短い航海は多大なる緊張感を持って進められる。対岸のオオコシ軍見張りに気付かれないように、場所を選び、ゆっくりと岸に近づく。

 小型船の動きが止まる、上陸の開始だ。

 ミキヤ一行は慎重に上陸を果たし、他の部隊と合流すべく、空一面に響き渡る法螺貝を吹いた。

 この音に釣られて集まるオオコシ軍見張りが、今回の遠征初の犠牲者になりそうだ。そうミキヤは思った。

 

──約三ヵ月後。

「あのガキはどうするべきですかねぇ」

 長身の男は紅の鎧を着た大男に話しかける。

「どうしようもあるまい、とにかく危害を加えられないようにしておけば問題ない」

 紅の鎧を着た男、ケッタはそう答えた。

 時刻は深夜、先ほど全身を縛られ、抵抗を諦めた例の子供が、相変わらず怒りをはらんだ目でケッタを見据えていた。

「一応解けないように結んではおきましたよ。後は煮るなり焼くなり将軍次第なんですが」

「そこらへんの木にでも繋いでおけ。俺は考え事をしている」

「了解しました」

 将軍ケッタの腹心ムソウは、さっさとコウランの襟首を掴んで、そこらにある適当な木に縛り付けた。

「痛っ、何すんだよ!」

 まだ声変わりも迎えていない少年特有の、甲高い声が陣内に響き渡る。

「まあ我慢しろ、少年よ。明日ぐらいには解放されるだろう」

「どういうことだよっ!」

「詳しくは明日ぐらいに話してやるさ、まあ未熟なガキは未熟なガキらしく大人しくしておきな、父ちゃんが天国から帰ってくるかも知れんしな」

「何だって?」

 コウランは目をパチクリさせていた。

 

「思い出したぞ……」

 日の出が存在感を主張し始める頃、一睡も出来なかったケッタは、重い頭から記憶を取り出そうと、躍起になって頑張っていた。その記憶は、ケッタの脳を活性化させ、ついには目的のものを探り当てることに成功した。

 タモ軍の勇者。例の子供はそう言った。それがケッタの耳に残っていたのだ。どうしても気になる、それに聞き覚えのある名前である。ケッタは必死に記憶の層を探り、それが誰であったのかを探り当てた。

 まだケッタの兄、キュウイが存命だった頃の話である。タモ国に一人の男が兵として志願して来た。オオコシに戦いを挑まれる数年前のことである。その男は片腕に剣を、もう片方の腕に幼い子供を抱いて、タモ国の兵になるために志願した。格好は、まるで──オオコシ軍のようだった。

 その男は確かにシュンエイと名乗り、キュウイに志願したのである。タモ国の兵として仕えさせてくれと。

 その男は語った。我はオオコシの部下であったが、マサシとの戦いに敗れて逃亡するに至った。部下は全滅、我が子一人を守るだけで精一杯だった。このままおめおめとオオコシ軍には戻れず、かといってマサシ軍の捕らわれの身となるわけにもゆかぬ。かといって、子を一人残しては死に場所を探すこともできぬ。いまや行き場を失くした流浪の民である。もしタモ国においてくれるのであれば、我はオオコシ大王を捨て、タモ大王に忠誠を誓う。一人の兵として、タモ国の人民として迎え入れてくれぬだろうかと。

 疑わしい点はあった。ただのオオコシ国の斥候ではないのか、オオコシに対して忠誠を捨てたという言動は正しいのか……しかし、キュウイは……ケッタの兄は、彼を迎え入れた。

 当時はまだタモガミも年端の行かぬ少年で、文武ともにキュウイに師事し、着実な成長を見せていた。タモ国の勢力も、当時は今の二倍近い領土を誇っていた。各国の貿易の中継地として栄え、経済的にも豊かな強国の一つだった。タモ王は強大な権威を誇り、かつて大陸を統一していた王朝の忠臣として、栄華の残り香を存分に満喫していた。全てそのような時代の話である。

 結果、その男はタモ国を裏切ることなく、タモ国での「居場所」を徐々に作り上げていった。最終的にはタモの側近としてタモ国に名を連ねることとなり……。そして、死んだのだ。

「俺は、あの時奴を打ち倒してしまったのか」

 ケッタは思わず独語する。

(「陛下の邪魔はさせん、我を倒してからにしろ」)

(「ほう、このケッタとやりあうとは……お主、やるではないか。我が配下に加われ、優遇してやるぞ」)

(「黙れ、裏切り者が」)

(「全く、素直であれば長生きできたものを……」)

(「──!!」)

 場面は圧倒的な鮮明さを持って蘇る。闇黒の中、その顔を鮮明に思い出すことは出来ない。だが、確かにあの男の面影があったのではないか……。

 ケッタが殺したタモ軍兵は、後にも先にもこの一人である。他は……確かにケッタが命じて、全て生け捕りにさせたはずである。それがタモ軍にどう伝わっているのか分からない。

 だが、事実としてそのシュンエイという名の男らしき人物以外、タモ国の側近は皆逃げおおせているのではないか……。

「俺は、確かに恨まれることをやったのかもしれんな……」

 出来ることなら夢であって欲しいと思った。だが、それは夢でなく過去なのだ。


執筆日 (2004,07,20)


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