マサシ侵攻策 〜十一〜

 

 マサシ侵攻策の後に大陸間に流れた平和は、僅かな、ほんの僅かなものでしかなかった。それは戦争と戦争との間の休憩、もっと言えば喧嘩の一時的な沈黙、大鷲が羽を休めるために木々の枝に止まるその一瞬、ただそれだけのものに過ぎなかった。戦争という名の大鷲は、平和という止まり木を見捨てて、新たな戦場に向かって飛び去っていったのである。その羽が止まる先はタモ領四番国。そこにはタモ国の軍事的な大黒柱とでも言うべき存在がいた。

 この大黒柱もまた微妙な存在であった。一見どっしりと構えているように見えるが、内部はシロアリに食い荒らされ、風雨にさらされてあらゆる部分が腐っていた。もはやタモ国の軍事という大きな天井を支えるには役不足となっていたのである。

 発端はタモ国とマサシ国の間で勃発した、大陸全体から見れば小さな、タモ国にとっては命を懸けた戦争である。

 この時、タモ軍は大黒柱ケッタの活躍と、多大なる時の運のおかげで辛くも勝利を得たのである。いや、勝利というべきではないかもしれない。むしろ「完膚なきまでに叩き潰されはしなかった」という状態かもしれない。それでも、タモ国にとって生き延びることが勝利であるなら、これは勝利と考えても特に差し支えあるまい。事実マサシ軍は今回の遠征を、自ら「失敗だ、敗北だ」と公言するほどなのだから。勿論、その公言の裏に軍事的な策謀が隠されている可能性もあるにはあるのだが。

 さて、タモ領四番国を治めるのは、かつて英雄的存在としてタモ国を引っ張っていったキュウイ……の弟、ケッタである。兄ほどではなくとも、文武に優れ、また部下からの信頼も厚い優れた将軍にして為政者である。が、タモ領四番国を統治するのには、並大抵の努力と忍耐では不可能だった。

 タモ国の唯一の「属国」といえるこの四番国は、北のオオコシ、西のリョウマ、東のマサミチと、三雄の間に挟まれる位置に存在するのである。大陸最大の軍事力を誇るオオコシ、大陸最大の国力を有するマサシ国将軍マサミチ、そしてその二者には目立たぬものの、タモ国より遥かに強大な勢力を持つリョウマ。この三者に戦いを挑まれたら、いとも簡単に四番国は滅びてしまうだろう。しかも、四番国の有する兵数は僅か1500。それも、徴兵の後に残った訓練不足の兵団、いわば弱者集団である。何故かというと、ケッタが四番国生え抜きの兵士を、薄くなったタモ国首都の防備に回したからである。こうすることによって、タモ国首都たる十五番国と四番国の兵力比はおよそ3対1となった。

 つまり、タモ領四番国は、いつ噴火するとも知れぬ活火山の周りを粗末な柵で囲ったような生活をしているのと同じである。結果として、ケッタには四番国人民からの強烈な批判が浴びせられ、その為政者としての実力の程を危ぶまれてしまった。

「安心を返してくれ!」

 こんな声もあった。

「兄の七光りと思って我慢していたが、もう見ていられない!タモ大王は何をしている、早く手を打たねば四番国は滅びてしまうぞ」

 それは悲痛な、そして発言の許されない言葉であった。タモ国首都十五番国には、四番国からの移民が増えた。また、それらの訴えはケッタの政策を非難するものばかりであった。なまじ以前の政治が良過ぎただけに、少し質を落としただけで不満が上がるのだ。彼らは政治に対して、為政者の判別に関しては舌が肥えていたのである。

 勿論これはタモにとっても悲痛な訴えに違いなかった。彼には他に重臣と呼べる存在がいない。救世主でも現れない限り、タモ国の惨状を救える者はいないのだ。タモ領四番国が傾こうと……滑らかな下り坂を迎えていようと、その直滑降を抑止するだけの技術を持つ者はいない。

 結局タモは直接ケッタに会うことを決めた。「例の戦争」が二人の仲に一石を投じてしまったのか、あれ以来、タモがケッタと会ったのは僅か数回に過ぎない。それも公式な行事が全てで、私的な仲として酒を酌み交わしたことは無かった。

「久しぶりに、ケッタと会わねばならぬかもしれん……いや、会って話をしなければならない」

 最大級に心苦しい公務を一心に抱え、タモ王国国王は決断を下した。

 四番国から型通りの返事が来たのは、それからおよそ十日後、旧暦1561年10月12日のことである。冬に向かおうとする季節、タモ国で新たな戦端が開かれるまで、二週間を切ろうとしていた。

 

 旧暦1561年10月18日──タモ国四番国にて、タモ、ケッタ両者が対面。

 タモはケッタを一目見て驚いた。以前の戦端の際にまして、際立って体がやつれている。別に立つのが難しいほどではないにしろ、一人の将軍としての風格に、大きく欠けたものがあると思われた。顔は生気を無くし、動きも以前と比べてかなり遅くなっているように見える。それでも全く頭の働きは衰えておらず、タモを四番国内部に入れてからというものの、完璧としか形容しがたいもてなしを用意していた。これは病的な痩せ方に思えるとタモは直感した。

「ケッタ将軍」

 やや公式な感じでタモが呼びかけた。酒と食糧を一切抜いた席である。また、周りには人影が無い。

「お主の統治方について、四番国の民から不平が出ていることは知っているだろう」

 ケッタも、非友好的というより、公的な呼び方で対応した。

「大王陛下。我が政治内容に文句を言うために遠路遙々やって来られたのでしょうか」

 やや凄みのあるケッタの言葉。

「書類と電信では伝えきれぬこともあるだろう。ただ、お主の政治に対して警句の一つでも言わねばならぬと思ったのは事実なのだ。聞きたいのだが、どうして四番国から非難が出るようになってしまったのだ」

「首都を落とされぬために四番国の防備を削ったために人民から不満の声が出ているのです。そして軍事費による負担によって国民が悲鳴を上げ始めた、ただそれだけの話です」

「何をしている。首都に全ての国力を回せば、この四番国が周辺列強の格好の餌食となるではないか。それはお主にも分かっているはずだ。そして、何故国民から不満が出るような政治を行わねばならぬ、そのような行為は国の浮沈に関わると、知らぬお主ではあるまい」

 このタモの一言に対するケッタの答えは、いかにも辛辣なものであった。

「大王陛下、陛下は私に何を望むんでいるのですか。私に兄の名残を見出そうとでもしているのか」

 それは、タモが最も聞かれたくないと感じている質問である。タモの脳裏に白装束の男が浮かぶ。それは現世に悔いを残して成仏出来ない霊魂なのか、あまたの人々の心に未だ生き続けている。ケッタは身を乗り出し、自らの見解を述べる。

「私は、兄と同じように生きることも、統治者として兄を越えることも出来ない。今やタモ国がやらねばならぬことは、軍事力の増強とそれによる防衛、領土拡大の徹底である。外敵の勢力を全て取り除いて初めて国民は安心することが出来る、数多の反対によって我が身が焼き尽くされたとしても、これだけの政略は、戦略は実行せねばならない。陛下の考えは平和の時代のものだ、理想だ、だがその理想は乱世に踏み潰されるべきものとなるに違いない!」

 尊敬語もほどほどにこれだけの内容を言い切ると、ケッタは荒い息を吐き出した。タモは意外にも冷静な表情と言動でそれに応じた。

「ケッタよ、いや、ケッタ将軍。その結果として肥大した軍事力が悲劇を生むとしたら、お主は何を考える」

「陛下、悲劇とは死ぬことです、滅ぶことなのです。それ以上の悲劇はどこにもありません、そして他者の痛みを分かち合うには、我々には余裕が無さ過ぎる」

「……お主がその考えを変えず、政治に対する姿勢を変えないというのであれば、タモ国の主としては手を打たぬわけにはいかない」

「ならば私にも考えがあります」

 ケッタの言葉は強気なものだった。タモはその強気な態度に、やや恐れを抱いた。

 確かにケッタの言うことは一理あるのだ。恐らく乱世だけでなく、いつの時代であれ、説得力を持つ物として受け入れられるのだろう。だが、その果てにタモの目指すものは無い。理想と現実は、いつも相容れぬものだから。

「……覚えておりますか、陛下」

「何が言いたい、ケッタ」

「以前マサシを敵に回した時、私が弱者を見捨てて強者を助けたことを。それは全てあなたのためであり、ひいてはタモ国のためだったのです。あの時、陛下は私を切ろうとしなかった。何故今切ろうとするのですか?」

 ケッタの本気の目、まるで敵を手にかける時のような、その大鷲のような目。それはタモの心に少なからぬ動揺を与えた。常に味方、同士であった二者の間に、いつの間にか溝が出来てしまったようにも思えた。

「……軍事と政治は違う、ただそれだけだ」

「……全てあなたの理想通りにはならない。それを心の隅にでも常在していただくべきかと存じます」

 タモは、席を立った。ケッタの言動に怒ったようでも、何か大切な用事を思い出したようでも無かった。ただ、決断を下した男の顔がそこにはあった。

「……後日、再訪しよう。その時までに四番国の政治が今日の状況を上回らなければ、一将軍としてだけの身に甘んずるも感受する覚悟をしてもらおう」

 ケッタも、つられて席を立った。部屋の外に出て、数多の重臣が見守る中、ケッタは部下に命じ、タモを十五番国まで送らせる旨を告げた。それだけのことをやりおおせると、部屋の中に戻り、全ての戸を閉めて一人となった。

 ただ一人となったケッタは、書状を書きながら呟く、

「分かり合えるならば、分かり合いたいものだ」と。

 

 後日、タモの元に一通の通達が届く。

「ケッタ将軍に不穏の動きあり、注意されたし」

 同時に、もう一通、正式な手続きを経て、ケッタからタモの元へ、一通の書状が届けられた。それを簡単に書くと、このようである。

「先日の会合において不明瞭な点が処々存在する。再び面談を果たしたい」

 それは後になって、タモ国を大動乱の渦に巻き込むことになる一通の手紙だった。


執筆日 (2004,06,15)


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