序乱 〜八〜

 広河を挟んで戦闘が行われた日の夜──

 タモ国の都がリョウマ軍によって襲撃されているとも知らず、約1800のタモ軍は短い安息の時を取っていた。第一回の戦闘で傷ついた身体を癒し、また次なる戦いに備えるために、めいめいが短い夜を過ごしていた。

 陣内のタモガミは、何度か眠れずに目を開けた。彼自身が次なる朝日が昇るのを見られないかもしれないという不安、自分の能力に対する焦り、今日の戦闘で死んでいった兵士達への思いが、彼の目をこじ開ける。野鳥が辺りを飛び交い、静かな夜に鳴き声がこだまする。その声は広河上流の林──と言うより木がまばらに生えている場所と言った方が正確かもしれない──から聞こえてくるものだろう。

 ふと、タモガミはあることを思い出した。今日の昼、キュウイの元を訪れていた女性のことである。陣内で見たきり、一度も会っていない。せめて挨拶ぐらいはしておくべきだろうか。

 ここまで回想して、彼は重要なことに気がついた。彼女の名前すら知らないということに。

「どうだったかな……確か香辛料のような名前だったような気がするんだが……」

 仕方ない、と思いタモガミは寝る努力をやめた。眠い兵士と見張りを交代するぐらいのことはできるだろう。そう思い、彼は連絡用の笛──当時はまだ狼煙や信号弾のようなものが発明されておらず、連絡は専ら音である。キュウイは音で最寄の見張りに連絡をつけるという方法を取っていた──を持って陣内を抜け出した。キュウイは先程から外に出て何か新しい策のために奔走しているようで、陣内に姿が見えない。もしここにキュウイがいれば、彼の被保護者について多少心配したに違いない。

「タモガミの奴……夜這いでもかける気か?」という具合に。尚、タモガミのことを「奴」呼ばわり出来るのは、後にも先にもキュウイぐらいのものであったという。

 

 コショウがタモガミに会ったのは全くの偶然だった。夜の見張り役を買って出た彼女は、キュウイに「大事な戦力を無駄に睡眠不足に陥らせるわけにはいかない」とやんわりと断られていたのだが、それでも馬上から戦場となる広河周辺を見回していた。

「まあ、見張りを見張っていると言えばいいでしょう」などと、キュウイが苦笑しそうなことを考えつつ、広河上流の林へと向かって行った。

 後ろから一頭の白馬が近づいてきたのは、そんな時だった。白馬はタモ国の名産ではないが、相当な上流階級でしか買うことも飼うことも出来ないほどの高級品である。一説には、指揮官を識別するためにタモ大王が値段を吊り上げているのではないかと言われている。

「タモガミ様?」

 その正体を識別して、コショウは驚きの声を上げた。真夜中にも目立つその白馬と、青を基調とした色彩の甲冑は、持ち主の正体を誇大に宣伝していた。見破られた方のタモガミは、ほんの少しの間呆然としていたが、すぐに気品のある顔を取り戻した。

「あなたの名前は?」とタモガミ。

「コショウです。夕刻隊を組織し、戦列に参加しております」

「そうか……ところで今何を?」

「見張りです」タモガミはつい不審な表情になった。

「ここからオオコシ軍を見張っているのですか?」二人は広河のやや上流付近にやって来ていた。周りに勿論オオコシ軍の兵がいるわけもなく、見張りからも遠く離れている。

「いえ、見張りを見張っているのです」タモガミは苦笑を浮かべた。

 それじゃあ私も同行しますよ。と言ってタモガミは強引にコショウについていき、二人は静かに森へと歩を進めていった。その途中で、コショウが今回の戦闘で多大な武勲(と言って、実際に戦ったわけでは無いが)を上げたのを知り、タモガミは驚きを隠せなかった。

 ただ、コショウの方はあまり良い顔をしなかった。何しろ真夜中に皇太子を連れまわしていることになるので、後で他人から何と言われるやら分からないのだ。さっさとキュウイの元に帰ってもらった方が、彼女としてはありがたいのである。

「タモガミ様、一度本陣に戻って見られてはいかがでしょう」

「いや、戻っても何もすることが無い。今の私に出来るのは眠れぬ夜を過ごすか、せめて見張りを交代するぐらいなのだから」

 やはりこの人はタモ様の子だ。とコショウは内心で親子を比較せざるをえなかった。タモも自分のことより他人を第一に考えたり、自分が何か人の役に立つことが出来ないかと考える人だった。その面影を、コショウはタモガミの言葉の中に発見した。

「ん、何かおかしい……」

 目前に迫った林を前に、タモガミは異変に気がついた。昼間油を流した地点に来て、同じくコショウもその林の中から、鳥の鳴き声以外の音がするのに気がついた。

「あれは……!」

 コショウの視野が暗闇の中、松明も持たずに歩く者達を見つけた。彼らは本来足場の無いところ──正確には、広河の上──に立って、オオコシ軍に向かっていた。それが意味するものを即座に悟ると、タモガミとコショウは同時に笛を鳴らした。

 

 オオコシ軍とタモ軍の広河戦、二回目の戦闘は遭遇戦である。

 コショウ、タモガミ二人の姿を認めると、数十名のオオコシ軍兵達は折角のチャンスを不意にせず、橋の中央から即座にタモ軍側へと渡ってきた。彼らは一人として弓を持っておらず、白兵戦を挑みにかかった。

「奴はタモガミだ!タモの息子を狙え!!」

 タモガミの目立つ格好は、どうやらオオコシ軍の格好の標的となったようで、タモガミはその若い命を散らし……たわけでは無かった。コショウが橋の入り口に立ち、オオコシ軍の侵攻を止めた。狭い入り口なら五十対一の戦いも一対一の互角の戦いに持ち込めるわけで、そうなるとコショウの方に部がある。オオコシ軍兵は2,3名がその戦闘能力を失った。

 そんな状況を黙って眺めるタモガミではなく、コショウの援護に回った。が、タモガミより早く戦況を覆す者達がいた。そう、夕刻隊の存在である。

「タモガミ様、後ろで御覧になりますか?」と余裕たっぷりのコショウの言葉。

 一旦オオコシ軍をタモ国側に誘い出し、その勢力を両側から討たせる。最大級の獲物に向かって猪突猛進していたオオコシ軍は、突然駆けつけた夕刻隊の姿にも暫く気付かなかった。戦いを続けてお互いを傷つけ合いながら、オオコシ軍はようやく自分たちのおかれている状況──左右が包囲されているという極めて危機的な状況──に気がついた。タモガミの後方からタモ軍の兵士達が駆けつけた頃、戦闘はもはや終わりかけていた。戦闘力を失った数十のオオコシ兵と、橋の上を逃げ惑う数少ないオオコシ兵。もはやこれ以上の深追いは必要なかった。

 その数十分後、キュウイから「橋を壊し、捕虜は本陣に連れ帰ること」との命令が下り、タモ軍による橋の撤去作業が始まった。一体どうやってこんなにも長い橋を渡すことが出来たのか、兵士の何人かはいぶかしがっていたが、それでも橋を壊すことに反対する者はいなかった。

 タモガミはそんな光景を眺め、深く考え込んでいた。コショウが相当な戦闘能力と指揮官としての能力を持ち合わせていたことに対して、わずかながら嫉妬を覚えた。天は二物を与えずというが、コショウに限っては三物以上与えられているように思えてならない。彼の師、キュウイにしても同じことであり、タモガミは自分の才能という翼が雛鳥のものであることを、認めないわけにはいかなかったのである。

 そんな落ち込むタモガミを見かねて、コショウは次のような言葉をかけた。

「タモガミ様。私が貴方と同じ年頃には、まだ一人の百姓の娘でした。貴方は齢十五にして既に指揮官なのですよ」

 しかし、タモガミの心に立ち込める霧は、その程度の慰みでは吹き消されはしなかった。


執筆日 (2004,01,27)


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