序乱 〜三〜

 オオコシ軍出陣の儀翌日──

 ケンタロウ、スエナガ両大将の率いる2400の軍勢が4番国へと殺到している頃、タモ陣営に一人の悩める男がいた。その正体は、言うまでも無くキュウイである。

 4番国北の国境付近には、急ごしらえだが十分に機能的な本陣が設営されていた。キュウイが腰を下ろす場所は、ただ幕で囲っただけの平野である。しかし、彼にとって必要なのは宮殿ではなかったのだから、これで十分だった。極端なことを言えば、その策謀を生み出す頭さえあれば、どのような場所でも良かったのである。

 そして今、その肝心の頭が悩まされていた。

「果たしてオオコシ軍はどのような戦法で来るのか……」

 具体的な敵の戦法を予測し、それに対する対応策を考える。三日ほど前からその繰り返しであり、彼の頭には100以上の敵の出方と、それに対応するだけの見方の動かし方が詰まっているはずである。

 そんな折、見張り役の兵士が報告を持って来た。

「申し上げます。今年の広河の水量が例年より少なくなっております」

「分かった。オオコシ陣営は到着していないか」

「全くその影すら見えません」

 キュウイは見張りを下がらせた。見張りの持って来た情報は、彼の考えを裏付けるに足りるものだった。

 大陸には短い乾季があり、その間は広河の水量が一時的に減少。多少足場は悪くなろうとも、騎兵を使えば陸上とあまり変わらない展開が期待出来るし、対岸からの矢も十分に届く。オオコシが最大兵力を生かそうとするなら、この短い乾季を利用するしか手はない。その乾季はこれから2ヶ月ほど後にやってくるはずで、現在の広河の水量は満水に近い。となれば、じわじわと水の減っていくこれからの1ヶ月は、上手く使えば戦いに持ち込ませずに、オオコシ陣営の兵力と物資を浪費させることにも使えるだろう。

 しかし、今年の水量は例年よりやや少なめとの報告……決戦の時期は少し早まりそうである。キュウイとしては、マサシ陣営との同盟を成立させるためにも時間を稼ぐ必要があった。更に時間を稼ぎたければ、決戦までに、何としてでも兵力を高めなければならない。タモガミ他数名の武官が、約1800の兵卒を指導しているが、それでも鍛え上げられたオオコシ陣営と直接対決をする以上、不安がつきまとうのは致し方ないことだった。

「失礼します」

 突然の来訪がキュウイの思考を停止させた。先ほどの見張り役である。

「どうした」

「ある人物が面会を希望しておられます。御通しいたしましょうか」

「何者かは分からないのか」

「不明です。ただ、本人は義勇軍の代表だと申しております」

 キュウイはしばらく見張りの言葉を吟味した。義勇軍、果たして何者だろうか。

「分かった、会ってみよう。本陣に通せ」

 こうして、キュウイは義勇軍の代表たる人物と出会うことになった。

 

 本陣に通された者を見て、高級武官は一通り驚きの声を上げた。それはキュウイでさえも例外になり得なかった行動である。

「義勇軍、別称『夕刻隊』代表、コショウと申します」

 重そうな兜を、まるで髪飾りか何かのように軽く外すと、その人物はごく簡単に自己紹介を行った。流れるような動作で本陣の中央まで歩み寄るその姿は、まるで重さの無い幻のよう。義勇軍を率いる代表は、そのような外見の似つかわしい女性だった。

「珍しい……」

 本陣に居座っていた高級武官の一人は、そのような感想を述べ、対象に冷ややかな目で見られたのだった。

「近々オオコシとの決戦があるという噂を聞き、同士を募ってやってまいりました。どうか先陣にお加え下さい」

 それだけ一気に言い放つと、コショウは漆黒の瞳でキュウイを見つめた。キュウイは、まるで心の底を見透かされたような錯覚に陥った。

「その前に、あなた方の戦力について教えて欲しい」

 何とか心の平静を持ち直したキュウイの言葉。

「戦力約50兵。皆農村からの出身者です」

 この返答に、本陣の中に冷笑が立ち込めた。たった50の兵力で、しかも農民からの出身者で何が出来るというのだ。大方、冷笑の意味はそのようなものだった。ただ、当の浴びせ掛けられた当人は平然として立っていた。その瞳は相変らずキュウイを見据えている。

「今笑った者は誰だ」

 キュウイの言葉に、冷笑が完璧に凍りついた。「たった50の兵力、されど50の兵力を馬鹿にしてはならない。今我々に必要なのは、最大の人口である農民からの協力である。まさか拒む者はおるまい」

「しかし、このような者に、指揮官が務まりますかな」

 本陣の中から、一人の高級武官の声。それはタモ国でも勇壮を自負する指揮官の声だった。

「ならば、証明して見せましょうか」

 やや挑発的なコショウの言は、タモ陣営の好奇心という池に石を投げ入れ、波紋を生み出した。

「ほう、面白い」

 というわけで、本陣の中央で戦闘が開始された。コショウ対タモ国の猛者である。キュウイは敢えて制止しようとしなかった。彼女が暗殺者か何かだという可能性を考えなかったわけではない。しかし、それ以上に言葉では説明出来ない理由から、制止という考えが抜け落ちていたのである。

「さて、大言壮語のほど試させてもらうぞ」

 タモ国の猛者が剣を手にした。それに対抗して、コショウは鞘から短い剣を取り出す。それは本陣内の武官達の失笑を買い、同時に相手の戦意を下げた。見た目だけなら、明らかにコショウの負けである。

「ほう、勝てると思っているのか」

 猛者は鋭く切り込んだ。頭を狙った初太刀は寸前のところでコショウに避けられた。更に脚、胴と猛烈に攻める猛者に対し、コショウは軽く身体を動かしてどれも寸前のところで避けるのだった。

 しかし、ついにコショウが体勢を崩し、体を後ろに反った。「もらった」と思った猛者は、猛然と切り込む。勿論本人は寸止めするつもりであったが、まず並みの剣客では避けられない速度で刀を振り下ろした。

 次の瞬間、勝敗は決した。まるで野獣を思わせる俊敏さでコショウが体勢を立て直し、その一刀を避け、がら空きになった猛者に踊りかかったのである。体勢を崩したのは、相手の失策を呼び込むための罠だった。短剣は今や猛者の首に密接し、少しでも動けば血が噴き出す状態にあった。

「これで十分でしょうか」

 猛者の方は、完全に思考を停止させた。予想を遥かに上回る実力の差を思い知らされ、驚愕の表情を崩せなかった。

「我々義勇軍は少数ながら鍛えられた兵の集まりです。更に……」

「更に士気も高いときている、と続けるかな」

 キュウイの補足は、もはや必要の無い物だった。

「コショウ殿には幾つか話があるため残ってもらいたい。他の武官は元の持ち場に戻り、諸君らの責務を全うせよ」

 そして、本陣から幾人かの武官が叩き出された。

 

 本陣の中央で、キュウイとコショウが対峙している。

「我々の戦陣参加を受け入れてくださいますか」

「拒む理由など無い。ただ、指揮官としての活動は義勇軍の中にとどめておいてもらいたいのだ。オオコシ軍との戦闘は近い。コショウ殿を指揮官としても、部下との連係を訓練するだけの時間が無い」

「分かりました」

 聡明な者同士、お互いに意思の疎通は簡単なことであった。

「ところで、それは別として、何故義勇軍を組織する気になったのか、理由を説明していただきたいのだ……」

 戦闘に参加する明確な理由を知りたい。それは、どれだけ揺るがない信念を持って戦うのか、という確認と同時に、キュウイの心の中に湧き上がる、好奇心めいた感情でもあった。

「それ以外に生き延びる道はありません。我々のような農民にとっても、オオコシの圧政下で生きるよりもタモ大王に生き延びて善政を敷いて欲しいということは変わりません。オオコシに支配されるぐらいなら、最後まで抵抗するつもりでいます」

 苦笑したキュウイの頭の中を回想が駆け巡った。彼がタモ大王に仕えるようになった経緯である。

 キュウイは4大王が独立した時、既に非凡な用兵家として、優秀な統率者として、そして戦場の雄として有名だったために、全ての大王が幕僚に加えたいと願っていた。

 オオコシは彼を豪華な宴席に呼び、幕僚にならないかと勧誘を試みた。しかし、オオコシは残暴な王として知られており、その宴席でもことあるごとにキュウイを不愉快にさせた。

 マサシは冷徹な王だった。打算を張り巡らせ、虎視眈々と全国統一を狙っていた。キュウイを勧誘するには尽力を惜しまなかったが、それでもキュウイという難攻不落の城を落とすことは出来なかった。

 リョウマは王というより、その辺りの百姓でもやっていれば似合いそうな男だった。時として見せる政治的センスには驚かされることがあったが、あまりにも覇気らしきものが感じられなかった。悪い男ではないのだが、平凡で、どうもキュウイの君主になるだけの素質を見出すことが出来なかった。

 最後に出会ったタモとの会話は、今でも鮮明に思い出すことが出来る。

 キュウイが初めてタモを見た時、特に良いという第一印象を得ることは出来なかった。しかし、タモは善王となるだけの素質を持つ男であり、キュウイが忠誠を尽くすに足りる相手でもあった。

「全国を統一した後に、何があるとお考えですか」

 キュウイはタモに問い詰めた。この質問は他の三大王にもぶつけた物だが、オオコシの答えは沈黙(泥酔して返答が不可能だっただけでもある)、マサシの答えは「王を頂点とする君主国家」であり、リョウマは「統一した後の考えを、今論じても始まらぬ」だった。それに対し、タモの答えはこうだった。

「理想だ」

 そう言って、タモは城下の景色をキュウイに見せた。この理想が、後に大陸全土に広がるというのである。「遠からずこの国は人民により動かされるようになるだろう。そのような世界が大陸全土に広がるのだ。このような景色が大陸のあちらこちらで見えるようになる」

 この時、キュウイは悟った。この男こそ、自分の上に立つことの出来る者である、と。

 その決心は今なお鈍ってはいない。だからこそ、彼はタモの為に全力を尽くし、オオコシとの対決を試みようとしているのである。

「コショウ殿の理念は理解した」

 自分と同格の考えを持つ機知──といっても、タモ陣営の大概の者が似たような感情を持ってはいたのだが──を見つけ、キュウイは内心喜びを隠しきれなかった。

 更に、キュウイは最後となる質問を投げかけた。『夕刻隊』という言葉の由来である。憂国と夕刻をかけたものです、などという誰もが予想できるような答えは、キュウイの望むところではない。彼としては、機知にそれなりの返答を期待していた。

「『傾いた日を元に戻すため、夕暮れ時に現れる』……そういった意味でしょうか」

 キュウイは思った。現実に傾いた日を元に戻すことは出来ない。果たして、この不確定要素は不可能を可能に変えられるのだろうか。

 

 二人の会話も終わる頃、タモガミが見張りを連れ立って本陣の中へやって来た。

「広河対岸にオオコシ軍が現れました」

 陣内に緊張が走った。キュウイは冷静にタモガミに質問を浴びせ掛けた。

「敵の兵力は」

「旗の数から判断して、約2400と思われます」キュウイは声を疑った。あまりにも少ないのだ。

「指揮官は誰だ」

「戦陣で旗を持つ男は、見張りが確認したところ、ケンタロウと思われます」

 それを聞いて、キュウイは納得した。これはオオコシの本陣ではないのだ。まず先鋒としてケンタロウを派兵したのである。

「成る程……よし、臨戦体勢に入れ!タモガミ、各指揮官に伝えろ」

「かしこまりました」

 キュウイはすぐ横に向いた。

「コショウ殿、夕刻隊を連れて最上流で陣を構えて頂きたい」

「了解いたしました」

 コショウは何者も恐れぬ瞳と共に、流麗な動作で立ち上がり、本陣の外へと駆け出した。

 その後姿を、興味深そうにタモガミが眺めていた。


執筆日 (2004,01,21)


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