序乱 〜二十〜 |
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キュウイの死に関して、ほぼ全ての歴史家が口を揃えている事柄がある。 即ち、「キュウイの死体はどのようにしてタモ国へ運ばれたのか?」という疑問である。彼がオオコシ軍の総攻撃によって死を与えられたことに関しては、数百以上のオオコシ軍兵士の証言があり、まず間違いないものと見て問題は無い。 しかし、問題はその後のことである。 オオコシ軍はキュウイにとどめを刺しはしたが、どのような経緯を辿ってか、その遺体はタモ国に運ばれているのである。これは歴史上の数ある不可解な出来事の中でも、最も大きなものとされている。 「序乱における最大の戦いを制したオオコシ軍は、その後急激な方向転換を強いられ、本国へと帰還する必要が生じてしまった。その際オオコシはタモに絶望感を与えるため、タモの元へキュウイの遺体を送っていたのではないだろうか?勿論、本来ならばそれだけの時間は無い。しかしこの時広河は増水しており、オオコシ軍は大きな足止めを食らっていた。オオコシの残忍かつ凶暴な性格から、この暇を利用した「余興」が発生したと見るのは間違った見解ではない。当時は勝利した陣営が敗北した陣営へ将官の遺体を送るという風習はまだ無い世の中だったが、オオコシ以外の何者がやれたであろう?残念なのは、この仮説を裏付ける確たる証拠が無いことである……検証しようにも当時のオオコシ軍兵士で、今なお生き続けている者は稀なのだから」 「ここにタモ国門番の重要な証言がある。公式記録上、彼はキュウイの遺体を受け取った者の一人に数えられている。その彼が言うには、「ケッタ将軍に引き連れられて数百の兵士が15番国の門を通ったが、その中にキュウイ将軍の姿は無かった。嫌な予感が頭をよぎったが、それでも我々は雨の降る中キュウイ将軍を待ちつづけた。待ちつづける内に夜も更けて、やがて雨が止んだ。それと同時にまるで幻影のように一人の女性が我々の目の前に姿を現した。……幻影のような感じがしたのは……そう、彼女が突然闇の中から現れたことが原因だろう。まるで幽霊のように見えたその女は、我々にこう言った。「キュウイ将軍は討死なさいました。この門のそばに置いておきます……」それからその女が煙のように消え、我々は幽霊の存在を想起した。その一瞬がとてつもなく長い時間のように思えた。そして、我々は門のそばで一つの遺体、何も無かった場所に突然現れた遺体の姿を確認した。まさに我々が探していたキュウイ将軍の、遺体であった」ということらしい。作り話のようにも思えるが、彼の目は真剣だった」 このように、キュウイの死に関しては、憶測が入り混じった評価が与えられている。しかし、重要なのは彼の死自体ではない。それがその後どのような影響をもたらしたか、ということである。結果としてキュウイが死に、そしてタモ国の重臣が一人消えたことは間違えようも無い事実なのだから……。
キュウイの死から約半日、悲しみがタモ国を支配した。 タモも例外なくその支配下に入っていた。むしろ、キュウイの死を最も悲しんでいたのはタモではないだろうか?ケッタの帰還にあわせて、タモの心に不安と衝撃の塊が雲となって立ち込め、半日後、その雲が感情の激流となってタモの心に豪雨を降らせた。 門番からの報告を聞き、タモは「その遺体」を運び込むように指示した。願わくば、夢であって欲しい──その願いは運び込まれた遺体を見た瞬間、砂の城のように崩れ去った。表面上だけでも平静を装い、遺体を入れるための棺を持ってくるよう門番に指示し、退出させた。 その場には、タモ、ケッタ、「キュウイ」の三者が残り、タモはついに最悪の質問を発してしまった。 「タモガミはどうしたのだ?」 ケッタは返答を避けた。唯一その答えを知っているのは「キュウイ」のみであり、彼はもはや口を開くことも出来ない存在だった。ケッタとしてもタモガミの行方は全く不明であり、死んでいるかオオコシ軍の捕虜となっているか、という二つの線が濃厚だったために、その考えを実父に告げる気にはなれなかった。また、タモはケッタを責めようとはしなかった。「キュウイにすら、タモガミを帰還させるのは不可能だった」のだから、その責任をケッタに問うのは、上司に出来ないことを部下に押し付けるのと同値である。その代わり、感情が理性を超えようとした一線でケッタを退出させた。これ以上ケッタと会話を続けるのであれば、その感情が行き場を求めてケッタへと向かうことは間違いなかったのだから。 そして、タモは「キュウイ」と「二人」になった。もはや血の通わぬ身体と、彫刻のように微動だにしない顔を見つめた。それを見て、彼はキュウイの死を受け入れざるを得なかった。その完璧とも言える肢体はどのような彫刻家でも表現することが出来なかっただろうし、ましてや人間がその境地を再現することなど出来なかっただろうから。 そして、彼の取った行動は……故人に大声で怒鳴ることだった。 「何故タモガミを連れて帰らなかったのだ!」 廊下で立ち聞きしていたケッタは、思わずタモの言葉に心臓を貫かれたような気がした。タモの言葉は、文字通りに解釈するなら子を思う親の心が直に表れたものである。しかし、この場合は違う。タモは彼の息子の生還よりも最高の重臣の生還を望んでいる……。 叫んだ後、タモは突然王位を譲りたいという思いに駈られた。王位を譲って、全くの私人として叫びたかった。「何故兵を見殺しにしてでも助かろうとしなかった!お前が生還しなくては何の慰めになると言うのだ!」と。数百の人命よりも、たった一人の命の方が大切だと叫びたかった。 しかし、彼は国王。国王であるが故に、出来ない。 翌日、タモ国最大の国葬が行われた。
その頃、十五番国国境線に控えていたリョウマ軍は、兵を引くよう命令を出している。 ケッタが帰還した時、タモはリョウマの三千近い兵の前を退いたが、この時リョウマ軍はタモ軍を追うようなそぶりを見せていない。彼らはオオコシ軍とタモ軍が臨戦状態になるのを望んでいたし、その二大勢力が共倒れしそうになったところで漁夫の利を頂戴するつもりだった。 しかし、状況は一変し、タモ国は突然最大規模の国葬を始めてしまった。おまけにどういうわけかタモ国を侵攻していたはずのオオコシ軍が攻めてこない。変わりようのない状況を見て、ついにリョウマは判断を下した。また、状況を察したオオコシ軍が手薄なリョウマ国を攻めるのではないかという疑惑が、彼の心の中にあったからでもある。 「通達せよ、タモ国侵攻を中止、撤退を行う」 彼らは即座に臨戦体勢を解き、本国に帰還したのだった。タモ国に充満するすすり泣きの声を聞きながら。
「旧暦1650年4月……長い動乱の世が短い仮眠を取っている間、オオコシ陣営は密かに、そして急速に軍事力を増加させていた。手始めにオオコシは、残る三大王の中で最弱のタモ陣営を壊滅しようと試みた。しかし、これに対しタモ陣営は徹底抗戦の動きを見せる。こうして、旧暦1560年に始まり、終結に32年を要した「乱」、その序乱とも言える戦いが勃発したのである……」 こう書き記した歴史家は、彼の使った「序乱」という言葉を用いて、次のように述べている。 「タモ国を支える精神的、実質的支柱が破壊されたのを境に、各地であらゆる争乱、紛争が勃発するようになった。本格的な戦国の世、言い換えれば末世の時代が始まったのである。序乱はオオコシとタモの対立だったが、その対立を中断させた者が次なる「乱」の主役の座をタモから奪い取った。その者の名はマサシ。彼は配下の将軍に命じ、手薄になったオオコシ軍への侵攻を行った。その絶妙の侵攻時期はオオコシ軍を震え上がらせるに十分なものだった……「乱」の次なる章、マサシ侵攻策の始まりである」 また、その歴史家は次のようにも述べている。 「タモ国は序乱の終了と同時に一人の英雄を失った。これはタモの最大の失敗であるとしか言いようが無い。もしもキュウイがタモから王位を簒奪していれば、タモの理想は消えることなく命を吹き返しただろう。だが、現実は常に理想と違う道を歩みたがる傾向があるのではないだろうか?この一件で道を踏み外してしまったタモ及びタモ国は、火を灯された蝋燭のように命を削り始めた。もし序乱前のタモ国の状況を夕刻とするならば、この時を境に、タモ国は、明けるとも思えぬ長い夜に突入したと言えるだろう……」
序乱(完) 執筆日 (2004,02,18)
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