序乱 〜十九〜

 

 タモガミが愛馬を失った頃──。

 時刻は僅かに日の出前、遠い地平線の向こうから僅かに日が差し、闇と重なった青白い光がオオコシ軍の陣地を照らす。オオコシ軍の中には、深い眠りにつく者もあれば、広河に立ち、見張りを続ける者もある。前者の筆頭はスエナガで、後者の筆頭はケンタロウだった。また、前者はやがてやって来るオオコシ軍本体との合流をもくろみ、一方後者は隙あらばタモ軍を叩き潰したいと思っていた。ただ、その数は前者の方が多かった。

 異変に気付いたのは見張り──数少ないスエナガの配下──の一人だった。

 彼は先日の侵攻、及びその前から見張りを買って出ており、寝不足だった。趣味の悪い鎧が身体に重く感じられ、その内寝てしまうのではないかと、同僚から危惧をもらっていた。

 後の後世の歴史家が、その見張りだった人物から話を聞いている。

「ええ、連日に及ぶ徹夜で、眠かったのです。あれは多分日の出前だったと思います。ちょっと空が曇っていたような、そんな日でした。事実その後雨が降りましたけど。私がタモ軍の対岸を見張っていると、何やらおかしなことに気がついたのです。広河を挟んで向こう側にあるタモ軍から火の手が上がりました。いえ、火の手ではなく煙でした。あまり大した煙ではないのですが、もくもくと天に向かって伸びていったのです。それから、何か焦げ臭い匂いがしました。始めは、タモ軍の煙のことを報告しに行く前のこととして仲間に相談していたのですが、ケンタロウ将軍もその場にいましたので、特に陣地の中へ帰ろうとは思わなかったのです。しかし、何かおかしいと気がつきました。煙が上がっているのは広河の向こう岸なのに、どうして私たちのいるところまで焦げ臭い匂いが漂って来るのですか」

 やがてケンタロウはことの重大さに気付き、陣地の中へ駆け込んだ。

「一体どうしたことだ!」

 彼が目にしたのは、火によって灰と化してゆくオオコシ軍の姿だった。背中に火のついた兵士が必死になって這いまわり、肉の焦げる匂いが彼の鼻腔を刺激した。陣地を覆っていた幕やら、小さな寝床にも火がつき、中で兵士達が夢を見たまま焼け焦がされていた。手持ちの備蓄食糧も炭と化し、あるのは混乱と恐怖の支配する騒乱の空間だけだった。

 一つの事実がケンタロウの頭に点滅した。その考えは彼の心を慄然とさせるに足りるものだった。それが事実だという証拠は無かったが、彼はその考えを信じた。

「まさか、帰還兵の生き残りが居たのか……」

 火はいよいよ大きくなり、彼らの陣地を飲み込もうとしていた。彼の指示によりオオコシ軍の脱出が行われ、同時に駆けつけた見張りたちが消火活動に当たった。だが、火は予想を大幅に上回る早さで周り、オオコシ軍を飲み込み、その亡骸を吐き出した。消火活動が終わった頃には、太陽が地平線の上に昇り、厚い雲の合間からその姿を見せていた。大地は焦土と化し、オオコシ軍の戦力の半分が灰塵に帰したのだった。

「タモ軍め……」

 まず始めに静かな怒りが言葉となってやって来た。この放火によりオオコシ軍の戦力の大半は炭となり、残った半分が怒りを抑えきれず、ぶつけようの無い怒りの放出先を捜し求めた。その結果、怒りはタモ軍に向かった。

「タモ軍を根絶やしにしろ!奴らを同じ目にあわせてくれる!」

 その言葉により、オオコシ軍は血相を変えて各々が武器を手に取った。ケンタロウは数的に勝ち目の無い戦いを静止しようとしたが、もはや三百の暴徒はケンタロウの指示を聞かなかった。彼らは準備が出来ると、ケンタロウの指示も待たずタモ軍の待つはずの広河対岸へと進んでいった。

 制止しようとして、岸へと駆け抜けたケンタロウは思わぬ光景を見た。

 タモ軍が広河を渡り、飛び出した暴徒、オオコシ軍を相手に戦闘を開始していたのである。

 同時に、彼は身体にかかるものの感触を感じ取った。

「雨だ……」

 

「雨か……」

 馬上でキュウイは命令を飛ばした。隊列を崩さず、早めに仕掛けてきたオオコシ軍を相手にする。タモ軍千に対しオオコシ軍は三百、この時点でキュウイの知ることではないが、とにかくオオコシ軍がいきり立って出てきたら、まずその一人ずつを二人以上で倒せば問題ない。事実、この時点で何も考えず突進してくるオオコシ軍は、ただの戦意の塊であって、その塊を相手にするタモ軍は楽に戦況を進めることができた。

「兄者、これは『兎の燻り出し作戦』とでも言うのか?」

 ケッタは前線に立ち、大声を張り上げた。巣穴の上に薪をくべられて火をかけられた兎のような、隙だらけのオオコシ軍を彼なりに形容したのだった。幼い頃から野山に分け入って育った野生児のような言い回しだが、見事に本質を突いていた。

 キュウイとしては、このような作戦を取るのは気が進まなかった。第一に彼の美意識に関わる問題だが、辛辣な小細工で敵と騙しあいを演じるのは好きではなかった。どうせなら大軍を指揮し、戦わずして数の圧力で敵を屈服させるような勝ち方をしたかった。そうでなくとも、数が多ければこのような成功率の低い詭計を用いなくて済んだだろう。

 武将としても全国に名を響かせる知将でありながら、彼自身は戦争が好きだったわけではない。国防上発生する問題として、振りかかる火の粉は最大限に振り払う、ただそれだけだった。そのために、次々と戦場にやって来るオオコシ軍を迎え撃ち、敵に更なる怒りと絶望を叩き込む。

 この時キュウイの心を占めていた心配事は二点である。彼らの頭上を濡らす雨は小雨だったが、やがて強く降りだすだろうということが予想された。そのため、広河が増水してしまう前に決戦を終わらせ、元のタモ軍陣地へと戻る必要が生じる。もう一つの心配は朝になっても戻らない被保護者のことであり、こちらは心配しても帰ってくるわけではないから、心の別の場所へと一時的に置いておくしかなかった。

 戦況はタモ軍が圧倒的有利であり、次々と出てくるオオコシ軍を葬り去っていた。驚異的な攻撃力で押される場面もあったが、それでも大勢は変わりそうもなかった。

 

 その兵士はタモ軍とオオコシ軍の決戦を遠くから眺めていた。

 彼こそはタモ軍がオオコシ軍の内部に放った刺客であり、食糧庫の放火騒動も、今朝のオオコシ軍陣内への放火も彼の仕業である。タモ軍から上がった狼煙を見て、放火を決行。オオコシ軍の兵士を大量に虐殺し、タモ軍が有利な状況になるように仕向けた。この作戦を成功させた彼は、帰還後の将来を約束されるだろう。

 しかし、彼の将来は敵の大声で切り裂かれた。

「貴様は何をしている!」

 彼が後ろを振り向くと、猛将として名高い男、ケンタロウの姿があった。

「貴様は何故ここにいる……」

 ケンタロウは明らかな猜疑の目で彼を見据えた。彼のほうは、まるでケンタロウに射抜かれたかのように感じ、身動きが取れない。

「仲間が必死で抗戦を続けていると知っていながら、よくものうのうと生きているものだ……」

 ゴキブリも驚くしぶとさで、運良く──オオコシ軍にとっては運悪く──生き延び、火傷による戦線離脱を宣言したスエナガ──同じく、ヘイとヘウも臥している──を見た後だったためか、ケンタロウは完全に殺気立っていた。刀の柄に手をかけ、その愛刀を抜くケンタロウ。

 彼は後ろを振り向き、再び戦いの状況を見て取ると、ケンタロウの方に振り返った。その顔には勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。彼の背後、広河で歓声が上がった。

「終わったようだな」

「貴様、我らの味方ではないな」

 彼は大声で目の前の勇将、指揮する兵を持たない孤独な将軍を見やった。

「もうすぐタモ軍が攻め込んでくる、お主もお終いだ」

「………………」

「冥土の土産に教えてやろう。食糧庫に放火したのは俺だ。今日の放火も俺がやったことだ。お主は良くキュウイ将軍の言う通りに踊ってくれた、何も知らない帰還兵たちを虐殺したり。礼を言いたいぐらいだ」

「………………」

「さて、もう決着はついた。死んでもらおうか」

 彼は柄から剣を取り出し、ケンタロウに向かって構えた。その姿を見て、ケンタロウはただ一言発した。

「お主の失敗を教えてやろう。相手の力量が分からなかったことだ」

 次の一瞬、彼の首は胴体を離れていた。

 

 タモガミは必死にオオコシ軍から逃げていた。

 堤防を壊し、そこで広河を越えたオオコシ軍は、信じられない速度でタモガミを追いかけた。タモ軍が第一戦で利用した林を越えた辺りで、ついにオオコシ軍はタモガミの視野の中に入った。そこでオオコシ軍は一旦動きを止め、疎らに木の生えた林をゆっくりと進んでいく。狩りを楽しむ獣のような、オオコシ軍の余裕が垣間見れる進軍だった。タモガミはその隙に、一気に林を通り抜け、広河のタモ陣側に出た。

 彼は対岸で奮戦するタモ軍の姿を認めると、そちらへ向けて一気に馬を飛ばした。広河が少しばかり増水し、進みにくくなっていた。彼は味方の姿を認めると、大声を張り上げた。

「オオコシ軍本体到着!」

 その叫びを聞いてタモ軍は震え上がった。キュウイはオオコシ軍に本体がいると予想はしていたが、それをタモ軍全体には伝えていなかったのである。言えば、戦意を大きく損なってしまうことは明らかだったから。しかし、この際それは些細な問題だった。

「遅かったか……」

 キュウイは馬を飛ばしてタモガミのそばへ駆け寄り、ことの次第を問いただした。同時にケッタに指示し、タモ軍を広河へと下がらせた。

「ケッタ、オオコシ軍本体が到着したようだ」

 凶報は彼の弟の頭の中を縦横無尽に飛び交った。オオコシ軍本体……その響きが持つ重さは、彼の心を沈めるのにさえ十分なものであった。

「言いたいことは分かるな。すぐに兵をまとめて本国に帰還しろ。オオコシ軍は私が食い止める」

「……分かった」

 ケッタはすぐさま笛を吹き鳴らし、タモ軍を都へ向けて進軍させた。勿論キュウイたちもそれに加わり、タモ軍の陣地がある岸へ向けて馬を進めた。その岸にはぞろぞろとオオコシ軍が集まり始め、徐々に組織的な動きを見せつつあった。その数約千、まだ二千近い兵がその集団に加わろうとしていた。

 対岸へと歩を進める間に、キュウイは気になっていたことをタモガミに聞いた。

「コショウ殿と夕刻隊は……?」

 タモガミは答えず、黙ってキュウイから視線をそらした。キュウイには十分すぎるほどタモガミの心情を理解できた。勿論、共有することは出来なかったけれど。

 彼らが岸まで辿り着く頃には、オオコシ軍の数は千五百近くに膨れ上がっていた。全面攻勢に出て、勝てるような敵ではなかった。それを見て、キュウイは一つの決断を下した。

「ケッタ……」

「どうした、兄者」

「後を頼んだ」

 

 ケッタに別れを告げると、キュウイは広河から上がり、一気に雨で濡れた大地を踏みしめた。矢筒から矢を抜き取り弓を構えると、オオコシ軍へ向けて射撃を行った。正確な射撃はオオコシ兵の頭を正確に打ち抜き、彼らを地に打ち倒す。

「行け、ケッタ!」

 一瞬オオコシ軍の注意がキュウイへ向く。その隙を見て、ケッタはタモ軍数百の兵を紡錘型にまとめてオオコシ軍の一点突破を図る。オオコシ軍は横に厚いが縦に薄い。この布陣を見ての突破である。その瞬間的な軍事力の一点集中により、オオコシ軍の壁がほころびを見せる。そこを狙い、タモ軍の全勢力が攻勢に出て、オオコシ軍を次々と打ち倒す。

 オオコシ軍の反撃を受け流し、ケッタはついにオオコシ軍の一部を突破することに成功した。残ったタモ軍もそれに続き、急な流れがオオコシ軍の穴を広げる。そこへオオコシ軍からの一斉攻撃が加わるが、反撃さえもせず彼らは本国へ一直線に逃げる。彼らは一瞬の隙を突いた逃走に成功をおさめる。

「兄者、死ぬなよ」

 それは、馬を駆り本国へと帰還するケッタの声にならない声であった。彼らは後ろを振り返ることなく、一直線に本国へと進んでいった。

 

 成功した者がいれば、失敗した者、逃げ遅れた者もいる。タモガミと数人の兵たちは成功組では無かった。彼らはその場に居残り、タモ軍に攻撃を加えるオオコシ軍に、容赦なく攻撃を加えた。彼らの注意が自分達に注ぐと、すぐに軍を翻して広河へと近寄る。その繰り返しで、何とか自分達と同数のオオコシ兵を血祭りにあげた。

「何をしている!」

 キュウイの鋭い一言は馬上で苦心して指揮を取るタモガミに向けられたものだった。どんな時よりも厳しい言葉に、タモガミは思わず首をすくめキュウイに口答えする。

「タモ軍の撤退を援護しているのです」

「そんな発言は一人前の指揮官になってからにしろ。お前はなんとしても逃げるんだ!」

 キュウイは自分に向かってくるオオコシ兵を二人射抜き、彼らの生命活動を止めた。

「何故だ、何故あなた方は、いつも自分を犠牲にして私を生かすのだ」

 タモガミは声を張り上げて怒鳴った。私はあなた方を失いたくない、自分の為に他者が死んでいくのを見たくない、未熟な自分のせいでコショウやケイカのような者が死ぬのは、死地へ残るのはもう見たくない。

 雨はやや強くなり、二人の会話は雨音に中断されないよう、だんだん大きくなっていった。タモガミの指揮する逃げ遅れ部隊はその数を減らしていき、ついにタモガミと、最初から単身のキュウイのみが残った。

「タモガミ、お前は生きろ」

「師範、何故私なんですか!何故こんな未熟者の為に、あなたは……あなた方は、命を張るんですか!」

「お前に生きていて欲しいからだ、そうだろう」

「私なんか見捨てて逃げればいい!私のような青二才の為に、あなた方のような尊敬すべき人間が、そんな人間が死んでいいはずがない!」

 タモガミの叫びは本心だった。彼はオオコシ軍を相手に、年齢と体躯からは信じられない奮闘を見せた。馬上から敵の攻撃を薙ぎ払い、すかさず強烈な一撃を加える。キュウイやケッタなどの師によって仕込まれた戦闘術の成果だった。しかし、感情に流された戦いによって、彼は広河の岸に追い詰められていった。

「タモガミ……」

 キュウイは疲れたように言った。

「お前は、尊敬するべき人間をおとしめたいのか?」

 タモガミを守りきれなければ、キュウイは確実に非難されることになる。彼が部下を見捨て、タモガミを見捨てて逃げ帰れば、待つのは糾弾の嵐。彼は生きていれば良しという男ではなかった。そのような生き方は、彼の美意識を大きく害するものだったのだから。

「だから、タモガミ……私の為を思うなら生き延びろ!私の役割はお前を守ることで、お前にはタモ国を守るという役割があるんだ」

 キュウイは矢を番えて、タモガミのいる方へ放った。一発は、タモガミに肉薄していたオオコシ軍に当たり、少し遅れたもう一発は、タモガミの乗るケイカの愛馬に突き刺さった。

「キュウイ師範、何を!?」

 馬は暴れ馬と化し、暴走を始めた。タモガミがオオコシ軍の包囲網を突破するとしたらこの方法以外に無いと判断したキュウイの手。馬が暴走を開始し、広河に沿って走り去った。何とかタモガミがオオコシ軍の包囲網を脱出すると、そこへオオコシ軍弓兵による射撃が行われる。健闘虚しくタモガミは馬から放り出され、何とか身を起こしてオオコシ軍から逃げ出した。

 オオコシ軍がタモガミを追い詰め、タモガミが逃げる。結果、タモガミはオオコシ軍のいない方、広河へ向けて逃げることとなった。だが、広河は増水しておりとてもではないが渡れない。オオコシ軍弓兵が矢を放ち、タモガミの肩口をかすめ、血が噴き出した。タモガミは痛みをこらえつつ、懸命に逃げた。腰まで泥水に浸かり、もはやオオコシ軍との距離の差は僅かだった。

(身体が重い……)

 彼は必死でもがいた。もがけばもがく分、身体が前に進んだ。彼が後ろを振り返ると、オオコシ軍弓兵がまさに矢を射ようとする瞬間だった。慌てて水面に身を躍らせ、矢をかわすタモガミ。しかし、彼はまさに力尽きようとしていた。

(もはや、これまでか……)

 彼は力無く広河に沈んでいった。もはやオオコシ軍の攻撃も届かない。タモガミは、急流に見も心も任せて、広河下流へと流されていった。

 

 必死の思いでタモガミをオオコシ軍包囲網から外へ出すと、キュウイは再びオオコシ軍の方を向いた。タモガミの代わりに、彼が周りを包囲されていた。後方が閉ざされたため、広河を渡るという最後の手段も閉ざされた。彼一人のために、オオコシ軍三千近い兵が動員された。

「やれやれ、出来の悪い弟子を持つと苦労する」

 もはやどうにもならない状況だった。オオコシ軍に周囲を包囲され、たった一人では突破も不可能である。

 そんな彼の元に一人の男が姿を現した。

「オオコシか……」

「お主がキュウイか、その名は良く聞いておる。殺すには惜しい人材だ、我が傘下に入らぬか?」

 まるで原稿に書いてあった文章を読むようなオオコシだが、口調には傲慢さが滲み出ていた。

「残念だな、私は貴方に下げる頭など持ち合わせていない」

 それだけ言うと、キュウイは地に落ちている長剣──先程矢で射倒した相手が落とした物──を手に取り、矢筒を捨てた。オオコシは意地の悪い笑いを浮かべると、その場から立ち去った。キュウイの周囲のオオコシ軍が、手に武器を持って彼ににじり寄った。オオコシが遠くから付け加えた、「正々堂々、丁寧に葬ってやれ」と。

「この不利をひっくり返そうと思ったら、やはりオオコシを倒すしかないな……」

 戦闘が始まった。

 

 キュウイは長剣を振りかざし、オオコシに向かって一直線に進んでいった。間に立ちはだかるオオコシ軍兵士を、雷光のような素早さで薙ぎ払い、戦神のごとき力で打ち倒した。滅多に戦場に立つことは無いが、彼自身はケッタやケンタロウすら上回る戦闘力の持ち主だった。

「流石に良く手入れされているな……」

 次々とオオコシ軍を血に染め上げ、オオコシへと一直線に向かっていくキュウイを見て、彼らは「死神だ、あれは戦場の死神だ」と叫び声をあげた。「オオコシはどこだ!」と目の前に立ちはだかる敵を瞬間的に貫き、次の瞬間、長剣を抜き取ろうとせず、敵の手から直接武器を奪って更なる獲物にそれを叩きつけた。怯んだオオコシ軍の中を進み、ある時は槍で、手斧で、素手でオオコシ軍の死体を量産していった。

「オオコシはどこだ!」

 その時、彼は視界の端にオオコシの姿を捉えた。それに向かって一直線に進み、間にいるオオコシ軍を蹴散らす。既に死体は七十を越え、彼の通るところ屍ありき、という状態だった。流石のオオコシ軍も手を出すのを躊躇い、躊躇った隙を突かれて地獄へと旅立った。

 ついにオオコシまで後数歩、というところで腕の立つ者達がキュウイの前に立ちはだかった。彼らは執拗にキュウイに攻撃をしかけた。キュウイもそれを回避し、何とか倒そうと試みるが、中々致命傷を与えられない。その間にキュウイに近付くオオコシ軍兵が現れたが、それはキュウイに読まれていた。数人を相手にしながら、キュウイは全く引けをとらない闘いをしていた。

「仕方が無い、弓兵を使え!」

 たまりかねたオオコシが命令を出したのは、キュウイの前に立ちはだかった数名の勇者達が倒れた後だった。キュウイによる死者は百に近付き、尚無傷である。キュウイはオオコシに向かって突進し、一撃を加えようと試みる。だが、今までのどんな敵よりオオコシは手強かった。

 キュウイの攻撃を受け流し、愛用の長槍で反撃に出るオオコシ。キュウイのこの時の武器は長い柄のついた斧で、扱いが難しい割には、まるで木刀でも振り回すかのように扱っている。オオコシ相手に三回、四回と切り結ぶが、いずれも長槍で巧みに払いのけられた。

 オオコシ軍弓兵はキュウイに狙いをつけた。特に命中精度を自負する者がキュウイに向かって矢を放った。矢はキュウイの足に突き刺さった。

「しまった……」

 ぬかるんだ地面の上でキュウイは身体の体勢を崩し、その場に手をついた。そこへ第二、第三の矢が飛んできて、キュウイの生命力を奪っていった。

「もはや、これまでのようだな……」

 オオコシが自慢の長槍をキュウイの身体に突き刺した。悲鳴も上げず、その場に倒れこむキュウイ。やがて、その目からは生の輝きが失われ、ついに心臓が機能を停止した。雨で泥がはね、彼の白装束に、キュウイに、死化粧を施す。

 世界で最も美しい死体を前にして、オオコシの高笑いが響きわたった。


執筆日 (2004,02,14)


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