序乱 〜十八〜 |
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オオコシ軍、タモ軍の争いは、ケンタロウの行動によって、分割されていたオオコシ軍が合流し、一気にオオコシ側に傾いた。この時既にタモ軍千六百、オオコシ軍千百。数の差で優勢なのはタモ軍だが、オオコシ軍の活躍如何ではひっくり返される余地のある戦況である。時は夜が近付き、薄暗くなろうとしていた。タモ軍の陣地で、剣と剣、鎧と鎧がぶつかり合い、戦場に火花を散らす。 オオコシ軍は圧倒的に不利な状況にあったが、戦意はタモ軍のそれを遥かに凌駕していた。おまけに、主に死地へと旅立ったのはスエナガの指揮下にあった兵。かえってケンタロウの命令は隅々まで行き渡り、統制の取れた軍事行動がタモ軍を追い詰めたのだった。 「左翼、突出するな!一旦下がれ!」 この時ケンタロウを補佐する部下達がオオコシ軍左翼の援護に回り、僅かにケンタロウが孤立した。オオコシ軍左翼を相手にしていたのはケッタらであるが、その隙を突き、ケッタはすぐに味方を別の部隊と合流させ、オオコシ軍を蹴散らしながら単身ケンタロウに斬り込んだ。この常識を逸した行動に、驚いたのはケンタロウである。すかさず盾をかざし、ケッタの攻撃を受け流した。 「タモ軍に名の知られる勇将、ケッタがお相手しよう」 「邪魔をするな!」名乗る気も無いケンタロウ。 「何を仰るへっぽこ指揮官。どうせ貴様の命は短い、ここで我の手にかかって花と散るがよい」 巧みに相手を挑発させながら、ケッタはケンタロウに踊りかかる。一対一の戦いなら、僅かながらケッタに分がある。そして、相手の命令系統を麻痺させようとする思惑があった。この思惑は見事的中し、ケンタロウはケッタを相手にするために、同時に味方に命令を下すことが出来なくなった。オオコシ軍全体の動きが鈍り、その間にキュウイの指揮するタモ軍がオオコシ軍を包囲、殲滅させようと試みた。 命令を出しながら、彼は苦々しく弟の方を眺めた。 「全く無茶をする奴だ。この間に敵から狙われたらどうするつもりだ」 遠くからケッタを狙うオオコシ軍弓の姿を見つけ、彼は遠くからその不届き者を狙い撃ちした。キュウイの強弓は神速でオオコシ軍兵を貫き、その者が地に伏せるのを見届けると、すぐさま味方の援護に向かった。指揮官が戦闘状態に入っている時点で、戦いとしては失敗と言わざるを得ないが、それでも包囲されたオオコシ軍よりはマシな状況と言える。包囲網を完成させたタモ軍に指示を下す。こ場合、指示はただ一言、「攻めろ」で良かった。 この時、キュウイは僅かながら思考を戦場から他方へ移した。 (こんな時にもう一人、有能な指揮官がいてくれたら……) 彼の脳裏に一人の指揮官の名前が浮かんだ。豪胆をもってする戦国の雄にして、キュウイの古くからの友人である。勿論、タモ軍を指揮出来る者だから、信頼関係でヒビが入ったコショウのことではない。 (全く、マサミチの奴は何をやっているんだ……早くタモ軍に仕官すれば良いものを……) 不毛なことを考えた後、彼は視線を戦場に戻した。包囲されたオオコシ軍は全包囲からの攻撃に耐え、それでもなおかつ反撃を試みた。なんとしてでもこの包囲網を突破しなければ、彼らに未来は無い。オオコシ軍は善戦し、自らの死者とほぼ同数の死者をタモ軍に献上した。 指揮官同士の戦いは熾烈を極めている。ケッタの長剣をケンタロウが軽く受け流し、自らの剣で相手に苛烈な斬撃を返す。闘いによって、二つの鎧に無数の傷がついたが、それでも尚二人は闘いをやめようとしなかった。 「しまった!」 この声はケッタのものだった。夕闇がタモ軍の陣地を覆う頃、ついにケンタロウが活路を見出したのだ。ケッタの一撃をかわし、すかさずその上体に切りかかったのである。ケッタが一瞬身体の安定感を失い、ケンタロウはその隙をついてケッタの元から逃げ出し、戦闘地域に駆け込んだ。数人のタモ軍がその斬撃の餌食となり、真っ赤な血を流して地に伏した。 その一瞬、タモ軍が怯んだ。オオコシ軍はすぐさま反撃に出て、タモ軍の包囲陣の一部を崩壊させることに成功。オオコシ軍は、その網の破れ目から一気に脱出を図った。そうはさせまいとケッタがケンタロウへ向け一撃を放ったが、虚しくも軽く受け流されてしまった。ケンタロウはオオコシ軍を包囲網の外へ連れ出し、広河へ向かって走行を始めた。 この時オオコシ軍約六百、タモ軍約千で、このまま戦えばいかにオオコシ軍と言えども壊滅は必至、しかも包囲網の中にあっては反撃もままならない。一瞬でそれだけの情報を察知したケンタロウは、一旦先々離脱を図ったのである。それを見て、キュウイは指示を出した──「追うな!」──退く敵を攻撃するなら両陣営に被害が及ぶが、追わなければタモ軍がその数を減らすことも無い。彼としては、これ以上タモ軍を減らすことは出来なかったのだろう。 こうして、一見無謀にも見えるオオコシ軍の攻撃は、ケンタロウの指示により僅かな間の終結を見たのである。この時ケンタロウは勝利を逃したが、まだ再起は可能であった。 戦闘が終了し、彼の心は苦さと怒りで埋め尽くされていた。軽率な作戦指揮によるオオコシ軍の戦力減、指揮官がいない中とは言え、タモ軍に手玉に取られた彼の配下たちに対する怒り。敵将、キュウイ、ケッタの二者に対する称賛のかすかに混じった怒り。そして、何よりも彼の心を煮えたぎらせているのは、スエナガの意見が正しかったことである。オオコシ軍本体の到着を待ってから攻勢に出たほうが良いというのは、結果論にせよ間違い無かった。自分がスエナガにさえ劣る決断をしたことに、彼は何よりも怒っていたのである。オオコシ軍兵士たちは、憤怒する上官に対して何も言えず、黙って広河を渡るのだった。幸いにして、敵からの攻撃が無かったために、彼らは無事広河を渡り終えた。 「ところで、スエナガはどこへいったのだ?」 数分後、彼はオオコシ軍陣地でのうのうと飯を食うスエナガを発見することになるのであった……。
その夜、タモ軍──。 兵士達に休息をとらせつつも、キュウイ自身は休むことなく働いていた。 その労働の一つに、報告を聞くというものがある。戦闘を間近に控えて先延ばしされていたが、ケッタから密約の答えを手にすることを忘れていたわけではない。 「……マサシは同盟を破棄したか」 「俺がこの目で見たのだから間違いない、奴はタモ陛下の書状を俺の目の前で引き裂いたぞ」 「そうか。ならばマサシからの援助は望めそうも無いな……。仕方が無い、ケッタ、全軍に通達しろ」 「なんと?」 「そうだな、『オオコシ軍本体到着前にケンタロウを叩き潰す』とでも伝えてくれ」 「了解した」 策謀は兄の分野だと知っている弟は、無理にその内容の意図を考えようとせず、全軍に兄の言葉を伝えるや否や、早々と眠りについた。 キュウイには考えがあった。小細工を労し、オオコシ軍別働隊の数を一気に減らし、そこを叩く。このようにして残り千近い兵で危険因子を片付け、それが終わり次第オオコシ軍本体が到着する前にタモ本国へ逃げ帰る。それ以外に手は無い。壊滅状態になったケンタロウ達を討つのなら、現在の兵力でもさほど問題は無いが、その少数がオオコシ軍本体と合流すればいささか厄介なことになる。タモ国全ての兵力を合わせてもオオコシ軍に太刀打ち出来ないのだ。絶対数に開きがありすぎる。 そして、何より心配なのはタモガミの行方だった。オオコシ軍本体が到着するまでには帰ってくるだろうと思うと、待つという選択肢を選ばざるを得ないのだった。不思議なことに、キュウイはタモガミが生きているものと信じていた。何が彼にそう思わせていたかは、後の世になっても明確な答えは出ていない。
一方、タモガミは心配する保護者の元へと馬を走らせていた。もう二日続けて寝ていないが、彼はとても寝れるような精神状況ではなかった。寝れば、背後から迫り来るオオコシ軍に追いつかれてしまう。 月明かりの中、彼と併走するのは一人の少女。二人はタモ陣へ向けて、必至に馬を走らせている。勿論、走っているのは馬のほうである。その馬は、当然ながら完全な体調を維持することは出来ない。そのため、この時タモガミは馬を止めなければならなかった。馬の脚に限界が来たのである。 「どうした、一体どうしたことだ」 彼は馬から下り、必死に必死に馬に呼びかけた。ケイカも遅れて馬を止め、飛び降りる。タモガミが目を凝らして見ると、どうも脚のあたりに出っ張った部分があるのが目に付いた。 「タモガミ様、どうなさいました?」とケイカが聞く。タモガミは彼女に馬の様子を見せる。途端に顔をしかめるケイカ。 「これは酷い……タモガミ様、もうこの馬は走れません」 彼女の宣告は、正確かつ冷酷である。馬は前足を一本完全に腫らしている。恐らくこれ以上走らせれば腫れが悪化し、完全に走ることが出来なくなるだろうと思われる。 移動手段を失い、苦悩するタモガミ。そこへケイカが優しく声をかける。 「タモガミ様、私の馬を使って下さい」 タモガミは信じられない目でケイカを見つめる。 「しかし、そんなことをすればあなたは……」 タモガミはその先を続けることが出来なかった。その選択を実行すれば、背後からやって来るオオコシ軍にたった一人で対峙することとなるだろう。そうなれば、彼女は間違いなく、オオコシという名の死神の餌食となってしまうではないか。 「タモガミ様、聞いてください」 ケイカの言葉を聞くタモガミ。 「私は、こんな理論が好きなわけではありませんが……あなたは、あの方が命をかけて守り通したんです。私は隊長の意思に背きたくないんです。だから、なんとしてでもあなたを生き延びさせます」 ケイカの言葉には悲愴な決意が漂っている。それを見て、彼女はタモガミの腕を掴んだ。 「タモガミ様、御願いですから乗ってください」タモガミは呆然としたように彼女を見つめる。そして、必至の抵抗を試みる。 「しかし、あなたはどうするというのだ。私は、あなたを死なせたくは無い」 たまりかねたように、ケイカは怒鳴った。 「早くしてください。でないと……そうでないと、私はここであなたを殺しかねません。あなたが自分一人の身も守れないような臆病者なら、生きる価値などありません」 ケイカは本当に短刀を取り出した。相手との間にある圧倒的な実力差と、精神力の差。それを感じたタモガミは、ふらつきながらもケイカの馬に乗った。 「覚えておいて下さい。あなたはこれから何度も、どちらかが犠牲になるしかないような、こんな場面に出会うでしょう。その時はあなたが生き延びてください、それがあの方の意思です」 これだけ言うと、ケイカはタモガミの乗る馬、自分の愛馬を軽く叩いた。馬の方はそれに応え、二者の間の差を広げ始めた。一瞬、しまったという顔つきになりながら、タモガミは名残惜しそうに後ろを振り返り、そして、すぐに前を向いた。もはや彼に振り返ることは許されない。前に進むしかない。 一人残ったケイカは呟く。 「タモガミ様、また会いましょう……それまで、生き延びてください」 それは、夜明け近くの出来事だった。 執筆日 (2004,02,13)
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