序乱 〜十六〜 |
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広河を挟んで対立するオオコシ軍とタモ軍。そのタモ軍の様子に変化が生じたのは、キュウイがタモガミを送り出した当日の夜だった。その動きを見ていた見張りは、こうケンタロウに告げている。 「タモ軍が奇妙な動きをしている」と。 知らせを受け、ケンタロウは岸に近付き対岸の様子を眺めた。暗くてよく分からないが、タモ軍が陣地の前に何かを張り巡らしている。 「あれは何なのだ?」とケンタロウは自問した。 「何か布のようなものだとは思われますが……」と、自問の言葉と分からずに返答を返す見張り。そんなことは分かっている、と返したいケンタロウだった。 そんな不可解なタモ軍の様子が遠目からでも分かるようになったのは、翌日の朝のことである。 「キュウイめ、一体何を考えているのだ?」 タモ軍は自分の陣地に白い幕を張っていた。それも、特別な指揮官達の作戦会議の為に、小さい空間を作る幕ではなく、タモ軍全体を覆い隠すような大きな幕だった。物が当たる部分だけは透過し、中の兵士らの影が見える。見張りは幕の外にほんの数人立っているだけで、それ以外のタモ軍の姿は見えない。 あのような幕に何の意味があるのか、ケンタロウは考えをいくつか見出した。 一、幕で姿を覆い隠し幕の内にいると見せかけて、密かに脱出、広河越え、オオコシ軍を討とうとしている。 二、オオコシ軍が一の考えを想起したところで、密かに戦地を脱出。タモ国に帰還している。 三、幕の内で裏工作を巡らせている。 四、単に幕を張ってみたかっただけ。 ケンタロウはまず一の考えを除外した。たとえ幕を張ったとしても、それはタモ軍を覆い隠しただけに過ぎない。脱出は出来ても、密かに川越えを行うなど不可能である。過去には馬のくつわを縛って音を立てないようにして歩き、密かに相手の陣地に潜入を果たした武将などもいるが、オオコシ軍は夜にも広範囲に渡って見張りを立てているためにその手を使うのは難しい。 続いて四の考え。天才とは何をするか分からないものだが、如何に言っても意味不明なこと甚だしい。 現実性のありそうなのは二の考えだが、裏返せばタモ軍は本国に帰還する必要があるということだ。軍隊が帰還する理由といったら、タモ軍本国が外敵の侵略に脅かされているというただ一点のみである。オオコシ軍本体はここで別働隊と合流する予定なので、タモ本国を攻めてはいない。となると、この仮説が正しければタモ本国はマサシ、リョウマのどちらかに攻められていることになる。それならオオコシ軍本体の到着を待って攻め込めばいいだけの話だろう。 第三の可能性も考えてみたが、相手がどんな類の裏工作を行っているか分かったものではない、無理に考えるのは時間の無駄である。そのような相手の小賢しい策略に乗って、何人の武将が死んでいっただろう? 以上のことから、ケンタロウは様子見と言う結論を下した。 だが、目下の不安は食糧である。先日反乱軍による焼き討ちにあってから、備蓄食糧が底を尽きかけている。果たしてオオコシ軍本体と合流するまで持つだろうか?それが無理ならオオコシ軍内部で食糧の奪い合いが発生しかねない。一応本国まで食糧を要求しはしたが、今ごろはまだ補給路の途中で、本国に辿り着いてはいないだろう。補給線の長さというものは、時として軍事的に大きな負担となるのだ。 そこまで考えを巡らせて、ケンタロウは一つの可能性に思いついた。反乱軍がオオコシ軍の食糧を焼き討ちしたのは、キュウイに指示されたと考えて良い。ならば、当然ながらキュウイはオオコシ軍の食糧庫が焼き討ちにされたことを知っており、オオコシ軍の食糧事情を知っている。 すると、あの幕にはオオコシ軍に疑心暗鬼を起こさせるために張った物と考えてもいいわけだ。 ケンタロウは答えを見出せず、悩んでいた。 その頃のことを、後の歴史家が詳しく書き記している。 「ケンタロウはオオコシ軍でも、オオコシに次ぐ猛将だった。頭も切れ、軍勢の統率も巧みで、おまけに人望も厚かった(他の将軍に人望が無かっただけかも知れない)。用兵の妙もあり、その実力を比べるならオオコシに匹敵する人材であった。しかし、彼はこの時、キュウイの仕掛けた最も大きな罠にはまっていたのである。次々に失敗する作戦、統率が効かなくなりつつある軍隊。危機的状況に立たされた食糧事情、敵将キュウイの圧力……全てが複雑に絡み合い、ケンタロウの精神を縛り付けていたため、不幸にも彼はその本来の実力を発揮することが出来なかった。オオコシ軍本体との合流を前に、行動に出たのだった」
昼近くになってケンタロウの元に二つの知らせが入り、ようやく彼は結論を出すことが出来た。虎を恐れて虎の穴に入らなければ、虎の子を手にすることは出来ない。つまり、幕など気にせずに攻めようというのである。知らせの一つは食糧が尽きかけ、タモ軍から略奪するか、本国へ帰還するかの二択を迫られるものであり、もう一つは広河の様子に違和感を感じた見張りからの知らせだった。彼は早速部下を招集し、すぐに臨戦状態に入るように命じた。徐々に部下を招集させ、ついでにスエナガにも声をかけ、全勢力を集結させた。その数、およそ千八百。キュウイ達タモ軍と、ほぼ同兵力である。小賢しい策を弄されない限り、兵の能力差で優位に立っている。 全軍を召集し、三千六百の目の前で、ケンタロウは広河の岸に立ち、演説を始めた。 「者ども、良く見るがいい!!」 ケンタロウは広河を指差しながら言った。 「我らが王、オオコシ陛下の御活躍で、ついに活路が開けた」 オオコシ軍内部にどよめきが走った。信じられないことに、彼らの目の前で広河の水量が著しい減少を続けているのである。タモ軍と自軍の間に立ちはだかった大いなる壁が、今取り払われた。 「今こそ侵攻の時、タモ軍を討つのだ」 こうして、オオコシ軍による大規模なタモ国侵攻が始まった。今、広河戦が終結の時を迎えようとしている。
かたや、タモ軍。 タモガミを送り出した翌日、夕刻隊とオオコシ軍本体が戦闘状態に入ったとも知らず、彼らは幕の内でキュウイの指示を仰いでいた。幕の内で、彼らは近々勃発するであろう対オオコシ戦に備えている。 作業中、見張りから重大な報告がもたらされた。広河の水量が急激に下がり始めたというのである。おまけに、対岸でオオコシ軍が軍を組織しているという情報も同時にもたらされた。 「遅かったか……」 キュウイは自分の考えが正しかったことを悟ったが、それは出来ることなら外れて欲しい予想だった。オオコシからの楽しくない手紙といい、どうもこの類の予想を的中してしまう。同時に、キュウイはタモガミのことが気になった。 もしもオオコシが堤防を決壊させていなかったとしたら、タモガミがオオコシと出会うことは無いだろうからまず死にはしない。しかし、もし堤防を決壊させるようなことがあれば、タモガミとオオコシが鉢合わせする可能性がある。それでも、指揮官としてはまだ戦闘を経験したことの無いタモガミは、未熟としか言いようが無いのだから、本陣でケンタロウと決戦するよりはまだ生き延びれる可能性が高いだろう。兵を指揮している最中ではタモガミを救うことなど出来ないだろうし、コショウならオオコシと鉢合わせしてもタモガミを逃がしてくれるだろう。勿論、その考えがコショウの死によって正当性を主張したことを、キュウイは知らない。それは幸せな無知なのだろうか。 思えば、タモガミは家庭的には不幸な王子だった。幼少の内に母親が死に、父は勢力を伸ばそうとして必死になり、あまり我が子にかまったことが無い。教師としてキュウイが付き、怠けることも許されない。タモガミがコショウについて行ったのは……ひょっとすると、彼女に亡き母の面影でも見出したのだろうか? やがて、キュウイは思考をタモガミのことから目の前の戦闘のことに切り替えた。広河の水量は減少を続けている。このまま減少が進めば人が立って広河を渡ることも可能になる。機は熟したのだ。 ここで一つの問題が浮かび上がった。タモガミも指揮官だったから、彼が抜けた今その部隊を指揮する者がいないのだ。タモガミの部隊をどこかの部隊とつなげるか、指揮官を選出するかしなければならない。時間は少ない。広河の水量がどんどん減っていき、キュウイの神経をすり減らす。 そんなキュウイの元に、助け舟のように一人の武将が現れた。
お調子者の登場だ。 執筆日 (2004,02,07)
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