序乱 〜十五〜

 

 もう何年前の話になるだろう?私の幸せな人生の最終日に、その男達はやって来た。

 今でもその日のことは良く覚えている。良く晴れた日で、気持ちのいい朝だった。自然の草花も朝日を反射し、まるで私に話し掛けようとしていたみたい。家を出たら、叔父が外で深呼吸していた。

「やあ、おはよう」叔父の挨拶に、つられて私も挨拶を返す。数日前から私の、私の両親の家に泊まりこんでいる叔父だった。農作業で生計を立てる私の家では、その身に纏う都会的な空気が良く目立つ。このへんぴな農村に訪れた理由は分からないけど、とにかく私の親は歓迎していた。

「あら、もう起きてたの?」母が顔を出した。

「もう、と言っても五時じゃない。母さんの方が遅いのよ」と切り返す私。事実、農村では五時起きが普通だった。

「違うわよ、叔父さんのことよ」と母。照れたように叔父が頭を掻く。

「この朝の空気を味わうためなら、もっと早く起きれますよ。大体僕は早起きなんです」

「それじゃあ、今度は叔父さんに庭で徹夜してもらおうかしら」冗談のような私の言葉に、二人は笑った。笑いながら、母は思い出したように私に告げた。

「そう言えば、早いものね……」どこか懐かしげな母の顔に、私はその日が何の日だったのか、初めて思い出した。

「今日は何の日なんです?」と叔父。

 母さんは私の肩を抱いた。「このじゃじゃ馬が、もう十五になるんです」

「へえ、早いものだね。ついこの間生まれたと思ったら、もう大人か」言いながら、叔父は少しぎくしゃくしていた。「なんなら僕のところに嫁に来ないか?」

「丁寧にお断りします。あなたの為に」と笑いながらのたまう母。当然私は母に噛み付いたけど、噛み付いた方も笑っていた……。

 あの男達がやってきたのは、それから数時間が経過した後だった。

 

 それに気がついたのはいつ頃だろうか、家の中で一休みしている私の耳に、父や母の怒鳴り声と、悲鳴のような声が聞こえてきた。鈍い音がして、続いて人が倒れたような音。私は慌てて家の戸を開けた。

 そこには、血を流している父さんと、馬に乗った、強そうな男達がいた。男達の後ろの顔には見覚えがあった。近所の友達や、知り合い達。私より年下のように見える子供達もいたけど、そんなことは気にならなかった。それ以上に、みんながまるで奴隷のように手首を縛られ、首を垂れて男達の後ろを歩いていたという光景が私の目に焼き付いた。地面に倒れ伏す父の肩を抱いていた母は、私の姿を見ると、すぐに言った。「戸を閉めなさい!」

 でも、私はその異様な光景を目にして、動くことが出来なかった。目の前に広がる光景が信じられなくて、イナゴに畑を食い荒らされた後の農夫のような表情で立ちすくんでいた。

「ここにも隠れていたか!さあ、捕えろ」先頭の馬に乗っている男が言って、すぐに周りの男達が私に近付いてきた。「やめて!来ないで!」危険を感じた私の、抵抗の声は黙殺され、すぐに男達のなすがままに、後ろの近所の人たちと同じように、手首を縛られ、そして、前に突き飛ばされた。上手く受身も取れずに倒れたから、多分打ち所が悪かったんだと思う。局所的に焼け付くような痛みが走り、意識が朦朧とした。

「お願いです、この子は!この子は勘弁してください!」必死に頼む母の声が、ボンヤリと聞こえてきた。

 母の懇願は男達──特に、先頭の男──の無情な態度で、砂の城のように突き崩された。

「ここは本日よりオオコシ陛下の直轄地。喜ぶがいい。男女を問わず、十五を過ぎれば最低でも三年の兵役が待っているのだ。オオコシ陛下の部下、軍人となれるのだぞ」

 私は、この時自分の未来が侵略者の靴で踏みにじられ、消し去られたことを悟りきれなかったのかもしれない。必死で暴れて、悲鳴をあげて抵抗する私に、オオコシ軍と判明した兵士達はことごとく暴力をふるった。「嫌だ!」と一回叫ぶごとに、顔を殴られた。唇が切れて、血が少し飛んだ。男達の後ろに並ぶ人々を見ると、目線を地面からそらして、哀れみのこもった目で私を見つめる者がいた。その目は「諦めろ」と告げていた。

 抵抗を続けるうちに、私は意識を失っていた。多分、その村で最後の徴兵だったと思う。それから、叔父がその略奪と遜色無い徴兵活動に手を貸していたと知るのは、大分後になってからだった。

 それから先は地獄が待っていた。私の人生の途中に突然大穴が開き、人生という道を歩いていた私はその穴に落ちてしまったのだろう。オオコシ軍に「徴兵」された私を待っていたのは、戦場で人を殺す為の訓練と、オオコシ軍の慰安婦としての「訓練」だった。私は「徴兵」されて一年の間に、何度自殺を図ったか覚えていない。二年目からはまた別の感情が沸き起こって、それが自分を動かす原動力になった。「オオコシを倒す」……そのためには、自分を捨ててでも強く生きるしかなかった。三年目の終わり、私は私人としての自分を捨てた。兵役を終えた後、故郷に帰らずオオコシ軍に留まることを請願した。ひょっとしたら、故郷に帰っても自分の居場所が無いと一人合点していたのかもしれない。

 私の出世が始まったのはそれから暫くしてのことだった。才能を見出され、気付いた頃には、称賛と嫉みの的になっていた。けれど、オオコシ軍の中で評価が高まる度に、私の心を機械のような感情が満たしていったのも事実。

 最終的に今の階級──指揮官としての立場を与えられ、初めて私はオオコシと出会うことが出来た。周りを完全に防備され、一部の隙も無い。あの男は、私に昇級祝いと称して「好きな物をやろう、何が望みだ」と聞いた。私は暫く考えてから、答えを返した。叔父の首です─と。けれど私は、自分で叔父の首を切り落とした。あの男の情けなど要らなかったし、私が最後に望むものは、あの男が「では、与えてやろう」と気楽にいえるようなものではなかった。あの男自身の首なのだから。

 その代わり軍の人事が動き、私の元には優秀な部下──私と同じような境遇の者達──が集うようになった。あの男は私に狙われていると知って、そのような人事を行ったのかもしれない。真偽は定かではないけれど、それ以後私があの男の首を狙う機会は無くなった。これがオオコシ軍直属の兵士だったら、私は部下を見殺しにしてでもあの男を殺したかもしれないのに。

 それから月日が流れ、あの男がタモ国への侵攻を企てていると知った。私は、この機に乗じてオオコシを討つために、タモ軍に加担することにした……。

 

 コショウの一撃を合図に、夕刻隊が四倍以上の数を誇るオオコシ軍へ立ち向かった。狼狽したのはオオコシ軍のほうで、突然の襲撃、裏切りに対して、為す術も無く数を減らしていった。コショウはタモガミを見捨てて先陣に立ち、既に数人のオオコシ軍兵士達を闇に還している。

 タモガミの後ろに、隙を狙ったオオコシ軍兵士が近付く。何の抵抗も出来ないタモガミを倒し、武勲を誇ろうという輩だった。しかし、彼の不幸は彼自身の未来を予測できなかったことにある。タモガミの首へと剣を振り下ろす。まさにその瞬間隣から猛烈な攻撃を加えられ、彼は意識を失っていた。それほど猛烈な攻撃だった。

「タモガミ様、大丈夫ですか?」と聞くその人物は見覚えがあった。

「君は確か……」縄を解かれながら、タモガミは記憶を掘り起こす。「昨日喧嘩騒ぎを起こしていた女の子だな」

「ええ」少女は嬉しげに囁いた。「ケイカと申します」

 タモガミは相手の態度に少なからぬ好意を持った。タモガミ後援会が見たら嫉妬していたかもしれない。

「それにしても、一体どういうことなんだ?」

「敵を騙すにはまず味方から。ということでしょう」

 オオコシ軍は数を減らしていき、その屍が累々と積み上げられた。流石に数の差を覆すのは厳しいのか、その中には夕刻隊隊員の死体も少なからず存在した。彼はその光景に、実戦の生臭さを嗅ぎ取らずにはいられなかった。

「殺すのか……」とタモガミが呟き、ケイカがそれに答える。「仕方ありません。ここで逃げられたらオオコシ軍に連絡されかねませんから、折角堤防を守っても無駄になってしまうんです」

 彼にもそれは分かっていたので、それ以上敢えて口を挟もうとはしなかった。戦闘は終了し、虚を突かれたオオコシ軍は夕刻隊の十倍近い屍を広河……いや、紅河に晒すことになったのである。

「終わりました」疲れ果てた顔でコショウが告げた。良く考えてみれば、夕刻隊もタモガミも徹夜明けである。全身を極度の疲労感に襲われても無理の無いことだった。今や堤防は完全に守られ、タモ軍の勝利を象徴しているかのように、彼らを覆っていた。

「私達は、領土を守ったんです……」

 もしタモガミが十年以上前のことを覚えていたら、その言葉の奥底にあるコショウの心情を理解し得たかもしれない。十年以上前のある日、彼は五番国を訪れることが出来なくなった。当時健在だったタモ国王妃たる彼の母親が、暗く沈んだ顔を見せていたことを、彼は知っているはずだった。しかし、その記憶は年とともに風化し、今やその記憶の持つ意味を捉えることも出来ない。

 守りきったという思いが彼らの心の中を満たしていった。やがて喜びと変わり、歓喜へと変貌を遂げたその感情は、興奮剤となって彼らの眠りを妨げた。もし彼らが眠っていたとしたら、幸せな気持ちのまま天国へと行けたかもしれない。

 やがて、夕刻隊の隊員の一人が、広河下流からやって来る軍団の影を見つけた。その影はだんだんと大きくなり、彼らの心の中に深い絶望感を叩き込んだ。

「……どうして……」コショウが呟いた。それが伝染したのか、タモガミも似たような言葉を発する。

「……どうして、オオコシがここにいるんだ……」

 

 オオコシ軍の歩みは、疲労と絶望が頂点に達した夕刻隊の動きを止めた。

 その姿を見て、オオコシは独語する。「このような面白い作戦、あのような指揮官に任せたのが間違いだったな。ふん、戻ってきて正解だ。良いカモがおるではないか」

 その場にいた夕刻隊、タモガミは完全に思考回路を停止させていた。オオコシ軍は三千近い兵力を有しており、彼らの敵う相手ではない。おまけに、戦意と言う点で大幅に負けている。オオコシ軍が一歩近付くたびに彼らは一歩下がる。その繰り返しだった。オオコシ軍の圧倒的な兵力の前に彼らは為す術無く、存亡の危機に瀕していた。

「ケイカ、タモガミ様を連れて逃げなさい」とコショウ。

「待ってくれ、あなたは、あなたはどうするつもりなんだ」ケイカは無言で了解し、タモガミはコショウに聞く。帰ってきた答えは「出来るだけ逃げてみます」だった。本心からの言葉とは、到底思えなかった。

 タモガミはケイカに引きずられるように、船着場へ向かって走っていった。コショウは夕刻隊をまとめ、逃げ出す準備を固めた。オオコシ軍から矢の雨が降り注ぎ、血の汗を流しながら、死体となって果てる夕刻隊。何とか船着場まで逃げ出せたのは僅か数名だった。

「追え!追え!!」

 オオコシの恐怖を呼び起こす指令が下され、オオコシ軍も船着場に殺到する。タモガミらは二艘に分かれて船に乗り込み、オオコシ軍からの攻撃が届く前に出発を試みた。タモガミが綱を断ち切り、広河を渡ろうとしたその瞬間、コショウが船から飛び降り、単身オオコシ軍に戦いを挑んだ。

「コショウ殿!」タモガミの叫びは虚しく、対象には届かなかった。タモガミはもう一度叫んだ。

 返答が返って来た。但し、横から。

「早く逃げましょう。広河の対岸まで渡れば矢も届きません」一心不乱に小船を漕ぎ出すケイカ達。

「待ってくれ、それではコショウ殿が……」

 タモガミの叫びには、隣人からの平手打ちが答えとなって返って来た。

「タモガミ様、落ち着いて下さい。私達は一刻も早くタモ軍に知らせなければならないんです。でないと、タモ国はどうなるのですか」必死にタモガミをなだめようとするケイカの声。

 タモガミは反論できず、岸の様子を眺めた。いつの間にかオオコシが先陣へでており、コショウと対峙している。

 そこから先のことを、タモガミの脳は記憶することを拒もうとした。

 オオコシの手から長槍が飛び、コショウの身体を貫き通した。

 ゆっくりと、まるで片方の羽をもがれて自重に負けた蝶のようにコショウが地に伏した。

 それっきり、彼女は身動き一つしない。

 オオコシの高笑いが、船の上まで響いた。彼らは全力で船を走らせ、飛んでくる矢を盾で防ぎながら、どうにかして沖に辿り着いた。彼女が動かなくなってから、しばらくタモガミの感情は停止していた。沖に辿り着いた時も、言われて初めて気がついたのだった。

「タモガミ様、あなたにはあの方が命を張るだけの価値があるんです」と、冷静になったタモガミにケイカが呟き、こう付け加えた。「一昨日の夜、私はあの方に呼び出されました……「自分にもし何かあったら、あなたが夕刻隊を率いなさい」と。あの方は、きっと死ぬことを予期していたんです。あなたが辛いのは分かりますけれど、今は理性を感情に優先させる時です」

 タモガミは岸に待たせていた馬にまたがり、キュウイの待つ戦線へと全速力で走らせた。それを見て、半ば壊滅状態の夕刻隊も後に続く。タモガミの乗る馬の白いたてがみに、熱い涙がこぼれ落ちる。それでも、馬は平常と変わらず走っていた。

 広河の岸では、数十頭の馬が帰らぬ主人を待っている。


執筆日 (2004,02,06)


戻る 進む

「乱」TOPへ戻る

TOPに戻る