序乱 〜十三〜

 

──夜。

 タモ軍の陣地から少し離れた更地で、二人の女性が、小さな声で、人目を避けるように会話を交わしている。一人は人目を惹くに相応しい容貌と雰囲気を兼ね備えた、大人びた女。もう片方は、戦場にいること自体疑問視されそうな容貌をしており、少女と言った方が相応しい。

 但し、兵士と言う点で見れば、二人とも水準を大きく上回っていた。

「私が、ですか……?」

 会話──正確には、密談──の内容は既に本題に入っているのか、少女の方が怪訝そうな表情で聞き返した。

「あなたが一番適任なのよ」と、年上の女は言った。

「無理です、私にはとても……荷が、重過ぎます……」と、か細い声で少女が反論。

「他の誰にも出来ないことよ。あなただから、私は話したの」

 さらに、女はこう付け加えた。「もう時間が無い……今、決めなさい」

 反論の余地を与えられなかった少女は、ただ黙って相手を見返した。それが果たして肯定の意思だったのか、傍目には迷っているようにも見えなくは無かっただろう。しかし、相手は沈黙を肯定と解釈し、少女の肩に手を置いた。

「私だって、出来ればこんなことはしたくない……けど、どうしてもやらなければいけないの」

 女は固い決意を言葉の上に漂わせると、念を押すように少女の目を見た。相手は黙って頷いた。

 了解の印を受け取ると、女は静かに、黙って去っていった。その後姿を遠くに見やり、少女は心の中で呟いた。

(一体どうすれば……コショウ様。私はコショウ様のようには……)

 深い眠りにつく夜のみが、少女の存在を認識していた。

 

 タモ軍とオオコシ軍が広河を挟んで臨戦状態になってから、早くも二週間が過ぎようとしていた。

 歴史の上で見れば、丁度ケッタがマサシ城から脱出を果たしたのとほぼ同時期にあたる頃、タモ軍でも一つ問題が発生していた。タモ軍の中で沸き起こっていた不満……突然手柄を奪っていった新参者達に対する不満が爆発していたのである。

 オオコシ軍との直接対決は初回のみで、その一瞬の戦闘を除けば、彼らは褒められもせず、けなされもせず、ただ黙々と訓練に時を費やすのみだった。オオコシ軍との戦闘で名を上げる、即ちタモ軍にとって最大に誇らしい武勲。それらを独占とまで言えずとも、大部分を奪っていった新参者の存在を無視することが出来なかったのだろう。兵士としてもやや未熟な観のある彼らは、恨みをぶつける相手として、対岸のオオコシ軍でなく、一部の味方を代用品としたのである。

 そのような点で未熟者だったタモ正規軍による、夕刻隊に対する恨みの具現化は、あまりにも日常的な場面で発生したとされる。尚、詳しい原因は分かっていない。

 タモガミの元にそのような情報を持ち込んだのは、一部の野次馬根性溢れる兵士達であった。彼が現場に駆けつけた頃、夕刻隊と一部のタモ正規軍による争いは既に終結していたが、二重三重の取り巻きの中には不穏な空気が漂っていた。

 輪の中では、十前後の兵士達が両陣営に分かれて睨み合いを続けており、怪我をして倒れている兵士の姿──その半数以下ではあったが──も見られた。

「一体何をしている!」

 タモガミの怒声で、その場にいた者達の間に流れていた不穏な空気が断ち切られ、呪いが解けたかのように、兵士達はお互いを見回した。

「何が起こったか、説明できる者はいないのか」

 タモ正規軍の幾人かがそれに反応した。

「タモガミ様、畏れながらも申しあげます。かの夕刻隊と称す者ども、我らの訓練の邪魔を……」

「嘘をつかないで!」

 夕刻隊から訂正が飛んだ。但し、コショウではなく、一人の女性隊員──夕刻隊には女性隊員も少なからず存在する──だった。その少女は少し冷静になって言い返した。

「先に邪魔をしたのはそちらでしょう」

 低い次元の争いに、タモガミは思わず頭を抱えそうになった。

「言いがかりをつけるか」

「言いがかりではありません」更に白熱する議論。

 そんな時、タモ正規軍兵士が、タモガミ曰く「低次元な論争」という炎に油を注いだ。

「何故わざわざ我々の邪魔をする。読めたぞ、貴様らはオオコシ軍の手先だな」

 相手を刺激するだけのつもりの言葉が、一気にタモ正規軍と夕刻隊の争いの場を「言論」から「実戦」に移そうとした。

 タモ軍、ひいてはタモ国において、「オオコシの手先」やら「オオコシに媚びる者」、「オオコシ二世」などなど……これら一種の禁句であり、相手との関係を完全に断絶しようとする意思を明確にする言葉である。何故オオコシがそこまでタモ国に嫌われているかと言うと、独立の際タモ国の領地となるはずだった五番国を騙し取ったからと言われている。

 タモ国の反オオコシ感情は違った形でも表れている。タモ国で現在大人気の読み物は、タモガミがオオコシを破るという英雄崇拝主義まっしぐらの戦記物──出版、タモガミ後援会──であり、一時期キュウイが「タモガミが増長するからやめてくれ……」と頭を悩ましたそうな。

 いずれにせよ、このような暴言によりタモ軍と夕刻隊の間に大きな亀裂が生じたことは事実である。まさに双方睨み合い、掴み合いに発展しようというその瞬間、タモガミが争いを制した。

 タモガミは二つの陣営の中間に分け入り、その二つを分けた。

「良く聞くがいい」タモガミの静かで力強い声が響き渡る。

 辺りは動揺し、タモガミの出方を観察した。

「我々は何のためにここにいる?仲違いを起こすためか?そんなことは無い、オオコシを討つためだろう」

 ほとんどの兵士が、タモガミを正視出来ずに視線をそらした。ただ、遠くから眺めていたコショウだけが、見直した、とでも言いたげな表情でタモガミを見据えている。同時にその目の輝きには、好奇心が含まれていた。

「先程の行ないこそ、オオコシが見たら喜ぶだろうな」

 そして、タモガミはタモ正規軍に向き直り、そして言った。

「諸君ら一人一人が父君の大切な民であると同様に、彼女らもまた父君にとっては大切な民であるのだ。想像力を奮い起こし、自らを夕刻隊の一員になぞらえてみよ。国の為にオオコシ軍を敗走させた結果が仲間からの手厳しい仕打ちでは、あんまりではないか」

 キュウイからの受け売りと、タモガミの心情がこのような形で表れ、広河を流れる水のようにその場にいた者全員に染み渡る。その場にいた者達は、その言動に指導者、タモの面影を見出したのだった。場には静寂が訪れ、夜のように静かな時が流れた。

 しかし、その静寂も長くは続かない運命にあった。タモ正規軍の一人がキュウイからの知らせを持ってきた。

「報告いたします。キュウイ殿から急報、夕刻隊に出動命令が下っております」

 

 広河上流に向かい、河沿いを走る五十騎ほどの兵士──。

 キュウイの報により、別行動を命じられた夕刻隊とタモガミである。

(もしもオオコシが大規模な戦略構想を持っていたとしたら……広河ほど厄介な存在は無い)

 広河はタモ国南部、望天山を源流としている。その流れは九番国で弧を描くように曲がり、四番国と五番国の間を通り、更に二番国と十四番国の間を通って大陸北西部の海に注ぐのであった。

(では、もしもオオコシが未来永劫広河を越えて攻めたいと思ったとしたら……持て余した戦力を、一体何に使うだろうか?)

 夕刻隊、そしてタモガミは約一日かけて、ようやく広河の中流域に辿り着いた。飛ばし過ぎたために何頭か馬が倒れてしまったが、その時の為に控えが用意されていた。それだけ急を要する作戦行動であった。

(そう言えば、広河軍が船を寄越したということは……海軍の必要性が少なくなったということをも意味しているな……)

 一日以上の長き間を走行しても、五十ほどの兵士達は乱れることなく上流へと遡ることが出来た。それはコショウの指揮能力が、夕刻隊全域に行き渡り、かつそれに応えるだけの能力が夕刻隊隊員に備わっていたことの証明でもある。ちなみに、タモガミが夕刻隊へついて行く必要は無かったのだが、キュウイより「自由な裁量を任せる」との見解をもらったので、夕刻隊と行動を共にしたのである。その間も、彼は夕刻隊と友好な関係を築きつつあった。

 彼らは馬を止め、広河の対岸を見渡した。

(つまり、以上のことから導き出される結論は一つ……。オオコシは広河を無くそうとしている)

 広河対岸を見渡した彼らの目に、かすかだが、二百近いオオコシ軍の姿が映った。

(オオコシはケンタロウに、「タモ軍を広河の一部に釘付けにさせる」という役目を負わせ、自分自身は別働隊を率いて広河の流れを止める。その最も効率の良いやり方は、広河が弧を描く地点で、自然の堤防を決壊させ、支流を作ってしまうことである。そうすれば乾季の時ならずとも広河の水量は著しく下がり、楽に大兵力を移動させることが出来るのである)

「どうやら堤防を崩そうとしているようね」

 コショウが、やや悠長に、かつ冷静に状況を分析した。

「このままでは攻め入ることは不可能。おまけに攻め入ったとしても、勝ち目は薄いですね」

「戦術論としてそれは間違いないのだが……このままでは堤防は崩され、我らの軍とオオコシ軍が対峙してしまうことになる」とタモガミ。

 広河戦における戦術面での勝者がキュウイなら、オオコシは戦略面での勝利者だった。河という自然すら破壊するオオコシの行為は、キュウイのような天才にも読むことが出来なかった。

 キュウイはこのように解説している。「馬鹿と天才は紙一重と言うが……オオコシはまさにその紙だな」但し、後に「少し馬鹿寄りの……」と小声で続いたところは、歴史的には記録されていない。

「このままでは埒があかない……」

 対岸のオオコシ軍を見やり、憎々しそうにタモガミが呟く。そんなタモガミを哀れそうな目で見つめたコショウは、タモガミに向き直り、突然行動に出た。

「コショウ殿、何を!?」

 コショウがタモガミの首筋に鋭い剣先を突きつけた。後ろで二人のやり取りを眺めていた者達は、動揺の色を微塵も見せなかった。

「タモガミ様、すみませんが……我々の捕虜となっていただきます」

 その声を合図に、タモガミは縛られ始めた。

 彼は絶望的な表情で、尊敬──そして裏切りの対象を眺めたのだった。


執筆日 (2004,02,03)


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