序乱 〜十一〜

 

 捕虜の帰還から数日後──オオコシ陣営。

 見張りが対岸のタモ軍の動きを監視し、何か異変があれば直ちに動き出そうという構えを見せていた。帰還した捕虜達、帰還兵の報告からキュウイが新たな策を設けていると知り、強固な警戒網を敷いているのである。その見張りの数、およそ二百。

 キュウイらタモ軍に目だった動きは無く、むしろ休養しているようにすら見えた。その様子が「一見穏やかに見えて、実は裏で策を張り巡らしているのではないか」という風に疑惑と化し、見張り達の神経を一層研ぎ澄ますのだった。

 ケンタロウは、キュウイの策に完全に捕らわれてしまっていた。相手がどんな出方をするか、気になって夜も眠れない(無理矢理寝ているようだ)といった日が続いている。

 このことを後の歴史家はこう綴る。

 ケンタロウは有能な将軍だった。しかし、有能過ぎて、かえってキュウイから見れば、行動を読みやすかったのである。なまじ馬鹿よりも有能な人材の方が落とし穴に落ちやすいという好例だろう。事実、キュウイはケンタロウの出方を読むことが出来ても、オオコシの策略を読みきれなかったのだから。

 帰還兵達は各所で手当てなどを受けていた。全身の疲労も癒され、戦闘の際の傷も治りかけてきている。武器を持つ手にも力と自信がみなぎり、いつでも戦地に立てると言わんばかりである。鎧も修理、交換が終わり、鎧を着た姿は前線で見張りに立つ兵士達よりも立派に見える。

 しかし、この帰還兵達は知らなかった。再びタモ軍を相手にすることが出来ず、散り行く運命が彼らを待ち構えているとは。

 

 帰還兵が帰ってきてから、十日ほど過ぎた頃──

 見張り達は神経を消耗し、ケンタロウら高級武官は精神を不安定にさせられていた。彼らの共通した意見は、次のようなものであった。

「一体タモ軍は何をしているのだ!?」

 タモ軍は一行に攻める構えを見せなかった。ほんの数名の見張りが立っているだけで、その他大勢のタモ軍は、その姿を陣地の奥に隠し、決して姿を見せなかった。もしタモ国の首都がリョウマの侵攻に浮き足立っているとの情報が入っていれば、ケンタロウ達は「タモ軍は帰還した」と考え、広河を渡り、攻め込んでいたに違いない。もしタモ軍に「本国危機」との情報が入っていれば、事実キュウイは四番国を捨てて首都に向かっただろう。しかし、タモ陣に、首都からそのような知らせは入ってこなかったのである。

 見張り達の中にも侵攻を進言する者がいた。このままこうしていては戦況の打破は望めない。タモ軍に踊らされるよりは、こちらからタモ軍を躍らせてやろうというのである。そのような案に心を動かされながら、ケンタロウは首を横に振る以外の選択肢を取れなかった。タモ軍は我が軍に隙を見せ、こちらが動いたら、そこを突いてくるのではないか、という不安がある。

 タモ軍の動きが分からないのは、それだけでオオコシ軍を不安がらせる要因となるのである。キュウイの言葉を借りれば、彼もまた「戦場にいようがいまいが相手の指揮官の頭を悩ませる」男なのだった。

 そして、事件は発生した。

 

 ケンタロウの副官ヘウは、思いがけないところで知り合いと再会した。

「ヘウー!ヘウじゃないか!」

 大声を上げながら自分の方へ走り寄ってくる男の顔は、見覚えがあった。

「ヘ、ヘイ!?」

 そう、スエナガの副官ヘイである。ヘイはヘウのそばまで走り寄ると、息を切らせながらヘウに抱きつこうとした。再会の喜びを分かち合おうとした行為だったが、「気持ち悪いわい!」とのヘウの一喝と周囲の視線により、取りやめになった。

 二人は従兄弟同士だが、顔のつくりから身体のつくりまで、一卵性双生児も驚くほど似ていた。果たしてヘイに髭をつけたのがヘウなのか、ヘウが髭を剃ったのがヘイなのか……オオコシ軍兵士の語り草である。「ヘウはヘイと間違われるのが嫌で、髭を生やしている」「実はヘイとヘウは同一人物である。付け髭をつけたのがヘウで、外した状態がヘイである」などの諸説すらあった。後者は否定されているが、もしヘウとヘイが会うようなことが無ければ、後者も多少の信頼性を勝ち得ていたかもしれない。

「ところでヘウ。食事は大切にしなきゃ駄目だよな」

「……どうしたヘイ。熱でも出したか、突然真面目なことを言い始めて……」

 旧知の仲だと、くだけた会話になるヘイとヘウだった。

「正常だね、ヘウに比べれば」

「いや、貴様と比べられたくない」

「そりゃ、俺の方が上だからな」

「いや、それは違うと思うぞ。で、食事がどうした。嫌なことでも思い出したか」

「そうだな……ウチでは魚を骨まで食べないと怒られたな」

「その割に頭が良くないのは本人の資質に問題があったんだろうな」

「ヘウほどじゃないさ。いや、ヘウほど問題は無いさ」

「なんだと?まるで俺が貴様より悪いみたいじゃないか」

「ヘウの言い方だと、ヘウが俺より資質があるように聞こえるじゃないか」

「事実だろうが」

「いや、決してそんなことはない。顔を見れば分かる」

「貴様に髭がついているだけだぞ。髭の分だけ俺の方が優秀だ」

「面倒だから剃ってないだけだろ。清潔な分俺の方が人間として優秀だ」

「いや、貴様は人間じゃなくて、蝿か何かの生まれ変わりだろう」

「じゃあ、ヘウはさしずめ銀バエだな」

「そして、貴様は銀バエ以下だということだ」

「ヘウが食事にたかってたら、ハエ叩きで叩いてあげよう」

「そう言えば、食事がどうとか言ってたな。結局何が言いたかったんだ?」

「そうそう、そう言えば……」

 ヘウは思い出したように言った。

「食糧庫が燃えてるんだよ」

 

 ヘイの迅速な(?)報告虚しく、オオコシ軍食糧庫は完全に焼け落ちてしまった。消火活動に当たった兵士は本人の出来る範囲で努力を見せたが、中にある遠征用の食糧は皆灰塵と帰した。残ったのは各指揮官がわずかに所持していた非常用の食料だけで、近々、それを奪い合って惨めな戦いが発生するであろうことは十分に予測された。

 ケンタロウは即座に首都たる五番国に援助を求めたが、一方で怒りを燃やし、信賞必罰を忘れなかった。彼はすぐさま兵士を呼び集めた。

 こんなことをしでかした犯人──ケンタロウの思いは帰還兵達に向いていた。こいつらはタモ軍につかまり、寝返ったのだ。でなければ、他に誰が食糧庫を燃やすような馬鹿な真似をするのだ?食糧庫の前で見張っていた兵士が言うには、「誰の部下かは知らないが、オオコシ軍の鎧を着た男がやって来て、中に入ったと思ったら、突然食糧庫が火を噴き出した」らしいが、そんなことをやるのは裏切り者ぐらいのものだろう。

「タモ軍に寝返ったのは貴様達か?」

 呼び集められた兵士達の前で、ケンタロウは大声で帰還兵達を追求し始めた。

「違います、我々はそのようなことを行ったりなど……」

「貴様達以外の誰がやるというのだ。思えば、何故お前達はタモ軍から無傷で脱走できたのだ。タモ軍から内部で手引きがあったとしか思えないではないか」

「そ、それは……タモ軍の策略です」帰還兵達は必死で弁解したが、もはやケンタロウは聞く耳をどこかへ捨ててしまったようである。

「そうか、裏切り者をこちらに寄越すのがキュウイの策か。そのような陳腐な策に引っ掛かった我々が馬鹿であったな」ケンタロウは自嘲めかして言った。

 そして、ついにケンタロウは宣告を下した。

「帰還兵どもを捕えろ!裏切り者どもを始末するのだ」

 こうして、広河戦の中でも最も醜悪な戦闘が始まったのである。

 

 始めは戸惑いながらも、オオコシ軍は帰還兵を徐々に窮地に追い詰めていった。「違う!」と叫びながら帰還兵達が逃げつづけ、その数を少しずつ減らしていった。オオコシ軍としても、数日前までの味方を追い詰めるのは気が引けると見え、あまり本気の戦闘が行えない。

 やがて、帰還兵達はオオコシ軍兵士の輪の中に追い詰められた。数少ない帰還兵を全滅させるのは簡単なこと──ケンタロウらの誤算はここにあった。

 追い詰められ、逃げ場を失った帰還兵達は、ついにここで怒りを爆発させた。何故事実無根の罪で汚名を着せられ、過去の味方に追い詰められ、不名誉な死を遂げなければならないのか?その思いは宣告を下したケンタロウに向かい、またその指揮下にある兵士達に向かった。もはや和解が成立し得ないのなら、全員道連れだ。

 ケンタロウらは帰還兵の猛反撃にあい、狼狽し、だんだんと輪を広げていった。狂気の叫びをあげ、狂ったように反撃する彼らに、勇猛をもってならすオオコシ軍も引き気味になったのである。その隙をついて、帰還兵達の猛攻が浴びせられた。命を落とすことも構わず攻撃に出る帰還兵の暴走によって、オオコシ軍の方はだんだん数を減らしていった。

「何をしている!さっさと倒さぬか!」ケンタロウの檄もあまり効果が無かった。

 そして、帰還兵の猛攻はある事柄を境に潰えた。「やらなければやられる」という思いがオオコシ軍の中に広がり、反逆者に対して徹底的な攻撃を加えにかかった。

 圧倒的な数の差が戦況を覆した。帰還兵達は数を減らしていき、もはや立っていられるのはほんの数名であった。

 帰還兵達に矢の雨が浴びせられ、その中で、胸に矢の突き刺さった一人の帰還兵が、突然閃いたのである。

「何故だ、何故奴は知っていたのだ……」

 帰還兵達がタモ軍の捕虜となっていた頃、ある一人の捕虜がタモ軍の兵士から笛を奪ったことである。侵攻の際に一度聞いただけで、「仲間を呼ぶ」という効能に気付けるだろうか。事実、他のオオコシ軍捕虜達は、その捕虜から指示されるまで笛の効能に気付かなかった。脱走を指揮したのも、一番早く縄から抜け出したあの男だ。帰還兵は周りを見渡したが、例の捕虜の姿は見えない。

 しかし、彼はその思いを口にする間もなく、同胞の手に倒れたのだった。


執筆日 (2004,01,31)


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