序乱 〜十〜

 

 タモ軍本陣より、やや北の方面──。

 第一幕とも言える戦いで発生した大量の廃棄物が山のように積まれており、足の踏み場も無いような雑然とした空間である。

 その雑然とした空間の中に、今オオコシ軍捕虜達が到着した。正確には、たった今連行されてきたところである。

「なんと酷い扱いだ、我々はゴミと同じか」とオオコシ軍捕虜が自嘲気味に言った。それもそのはず、辺りには廃棄物と一緒にオオコシ軍捕虜達が各方面から連れて来られていたのだ。捕虜達はお互いに顔を見合わせると、動けないように縛られた身体を懸命に動かし、その行為がタモ軍見張り達の失笑を買った。

 その場にはオオコシ軍捕虜達が約50。タモ軍の見張りが数名。数だけを見れば、圧倒的にオオコシ軍が有利である。となると、捕虜達の頭に浮かぶことは一つ。そう、脱走こそまさにその考え。

 捕虜の一人が辺りを見回した。辺りに積まれるゴミの山の中には、最初の戦いでオオコシ軍が用いた小船が大量に捨ててあった。大半は船尾が壊れたり船底に穴が空いていたりして使い物にならないのだが、何隻か無事なものもあるように見えた。中にはオオコシ軍の鎧らし物も見える。捕虜の一人は仲間と相談を開始した。

「何とか船を使って帰れないか?」

「見張りをどうする?そもそも縛られていては動けないではないか」

「見張りなら大丈夫だ、ほら、あれを見ろ、あの怠けっぷりを」捕虜の一人が可能な限り動く指で指差した。タモ軍の兵士達は談笑し、オオコシ軍捕虜達に対する見張りが疎かになりがちである。

「縛られているのさえ何とかなれば……」

 捕虜達は互いに額を突き詰め、相談した。

「何か縄を解く言い方法は無いか?」と、捕虜其の一。

「聞くばかりでは駄目だ、お前も何か考えてみろ」と、捕虜其の二。

「考えが浮かばんから聞いているのではないのか?」と、捕虜其の三。

「こういうのはどうだ?お互いがお互いの縄を噛み千切る」と、捕虜其の四。

「ほう、お前の歯は相当鋭いんだな」と、皮肉を言うのが捕虜其の五。

「そうさ、おまけに筋肉は鋼鉄のように硬いぞ」と、再び捕虜其の四。

 というわけで、最初の趣旨から外れ、捕虜其の四が全身の筋肉を酷使した。縄が身体の各部分に食い込み、顔にだんだん赤みが差していった。その時、捕虜その二が異変に気付いた。

「おい、縄が……」

 全員が其の四の縄に注目を始めた。ほんの少しずつだが、緩まっている。全員の目に感動の光が宿ったが、その感動も長続きはしなかった。

「もう…駄目……」わずかの時間で其の四が力尽きた。

「何をしているんだ、もっと元気を出せ」と、捕虜其の六。

「いや、これが限界……」と、弱々しい捕虜其の四。

「どうした、鋼鉄筋肉男、ご自慢の力はその程度か」と、自分の力量を棚に上げたのは捕虜其の七。

 そこで運悪くタモ軍の見張り達が捕虜達に近づき、捕虜其の四の縄が緩みかかっているのに気がついた。

「む、なんと言う馬鹿力……流石オオコシ軍だな。力馬鹿は揃っていると見える」

 そして、見張りは捕虜其の四の身体を縛る縄を、盛大な音を立ててきつく締め上げた。その刹那、捕虜達は捕虜其の四の顔に、悶絶とも苦悶ともとれる表情を見出したのだった。

 

 数時間後──。

 夜になったが、オオコシ軍捕虜達の脱走への気力はまだ萎えていなかった。縄さえ解ければ、縄さえ解ければ……という思いが彼らの心を支配し、脱走を成功させるためなら、どんな努力でも惜しまなかった。

 その内、一人の捕虜が意外なことを見つけた。悶絶死間際の捕虜其の四の縄が緩みかかっているのだ。

「おい、縄が緩みかかっているぞ」

 捕虜達はその言葉に一斉に反応し、捕虜其の四を振り返った。彼自身は死の淵に立っていたが、やがて意識を取り戻すと、縄が緩まっているのを内側からも確認した。

「あの見張り……縛るのに失敗したな」と気味の悪い微笑を浮かべる捕虜其の四。

「よし、縄を解くんだ。見張りに気付かれないように、静かにしろよ……」

 

 タモ軍の見張りは総勢四人。皆退屈な見張りに緊張感を失いかけ、三名は眠りの世界、残り一名は妄想の世界に突入していた。首筋に刃物を当てられるまで、見張りはオオコシ軍捕虜脱走のことなど気付かなかった。

「声を出すな」

 妄想の世界に突入していた見張りにとって、その言葉は死の宣告に等しいものだった。鎧をつけていない軽装のオオコシ軍捕虜(あちこちに縄の食い込んだ後が見られる)が、首筋に刃物を突きつけていた。見張りが自分の皮で出来た鞘に視線を移し、そこから愛用の短刀が消えているのを見てとると、初めて現実に引き戻され、背筋が凍りつくのを感じた。その見張りが辺りを見回すと、残り三名も同じようにオオコシ軍捕虜に短刀を突きつけられている。──駄目だ、動けば殺される。

 捕虜はすかさず見張りの首に付いている笛の紐を切り、笛を奪った。そして他数十名のオオコシ軍捕虜と共に、見張り四名を完全に縛り上げた。盛大に音を立てたのは復讐心からくる行為だろうか──。

 

 日付が変わる頃の時間になり、見張り交代の為に四名の見張りがオオコシ軍捕虜収容地──別名、ゴミ捨て場──を訪れ、ぐるぐるに縛られ悶絶している味方を見つけた。薄暗がりの中で見張りの縄を解いてやると、縛られていた見張り達は口々に言った。

「オオコシ軍が、オオコシ軍が脱走した……」それだけ言うと、彼らは力尽き、倒れた。命こそ失っていなかったものの、意識は完全に失われていた。

 そして、戦場たる広河全体にタモ軍の笛の音が鳴り響いた。

 

 笛の音に驚いたのは、オオコシ軍である。

 静かな夜に突然笛の音が鳴り響き、対岸が少しばかり騒がしくなっていることに気付いた見張りは、すぐさま近くのスエナガ……ではなく遠くのケンタロウのところまで報告を馬に乗せ、走らせた。

 やがて広河の対岸は、騒ぎを聞きつけたオオコシ軍兵士達で一杯になった。対岸から近づいている数隻の船が、タモ軍から盛大に矢を浴びせられている。だんだん船が対岸に近づき、その姿があらわになるにつれ、オオコシ軍には歓喜の声が広がっていった。

 最終的に広河の四分の三以上を渡り終え、タモ軍からの矢が届かなくなった時点で、オオコシ軍の歓声は大爆発した。

「ん、朝か?」オオコシ軍野営地で、スエナガが目を覚ました。

「違いますよ、味方です、味方が帰って来たんです」と嬉しそうに言ったのは、スエナガよりよほど優秀な副官、ヘイ。

 やがて、オオコシ軍捕虜達が広河を完全に渡り終え、オオコシ軍兵士達は感動のあまり、お互い熱い抱擁を交わした。元捕虜達は壊れかかった鎧を着て、半分沈みかけの小船を使い、ついに自軍の元へと帰って来たのである。

 その後、ケンタロウは帰って来た捕虜の口から新しい情報を聞き出すことに成功し、至極御満悦だった。その情報は「キュウイが二つ三つほど策を用意している」という情報だった。彼はキュウイの策を警戒し、無益な出兵を計画せず全軍に休養を言い渡した。

「それにしても……」元捕虜の一人が呟いた。「あの時矢を浴びせ掛けるのを後ろから指揮していた白装束の男……あれが例のキュウイ将軍か?」

「恐らくそうだろう」と、別の元捕虜が続けた。「しかし、それ以上に気になるのはあの女だ」

「女?」

「ああ、お前はタモ軍の本部……いや、本陣か。あの中に入って無かったから分からなかっただろうが……珍しいことに女がいたんだ」

「ほお、向こうには女の将軍もいるのか?」

「それだけならいいんだが……あの女、どこかで見たことがあるような気がする……」


執筆日 (2004,01,30)


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