序乱 〜1〜

「出陣、か……」

「どうかいたしましたか?」と、聞いたのはケンタロウの配下、ヘウである。彼は部下に返答せず、再び目を閉じた。

 若干戦力に不安のあった七番国を部下の一人に任せ、おまけに数ヶ月の歳月を要し、つい半日前、ケンタロウは大王の待つ4番国へとようやくたどり着いたところであった。長旅という肉体の疲労と、部下を落伍させることなく目的地へと運ぶという心労が彼の心を蝕んでいた。その二つを同時に癒すために酒と寝台を欲したケンタロウの望みはかなわず、4番国についた彼を迎えたのは彼の仕える君主の労いだった。

「よくぞ参った、ケンタロウよ」

 馬鹿殿を辞書から引きずり出したような彼の君主は、自分の褒め言葉を最上のものとして送ったのである。彼は体を休める暇も棚の上に放り上げ、出陣の儀式に出席しなければならなかった。君主国家における大王陛下の命令が絶対だということを、直属の部下が崩すわけにはいかないのである。

 

 オオコシ大王──ケンタロウの君主がタモ宛てに手紙を出したのは、今から数週間前の出来事である。オオコシは最初から「タモを潰す」気でいたのだが、それを止めたのは配下のヒカル将軍だった。

「殿、無用な争いを引き起こしてはなりませぬ。始めはタモを説得し、味方にするのが得策かと思われます」

 その発言は、公の場──作戦会議中──で発せられたものだった。

「何故じゃ?」

「我々がタモ国を相手に戦争を起こせば、確実に隙を突かれます。リョウマ、マサシの両陣営の獲物となるのは必至。タモを味方にし、防波堤とするのです。さすれば後方の憂い無くマサシを討伐することが可能でございます」

 ヒカルの意見は的を射たものだった。

「タモに裏切られては困ることになりそうじゃの」

 対するオオコシの意見は、更に的を射たものだった。

「しかし、戦えば我々の被害は甚大。相手を少数だからと言って侮ってはなりませぬ。何しろ、4番国には名将キュウイがいるのです」

「ほう、そなたは負けると申すのか?」

「いえ、戦力差は圧倒的ですので我々の負けは考えられません。しかしキュウイという者、知将と名高いと聞きます。我々が全面攻勢をかけられないよう、策を設けられたら苦戦は必至。窮鼠猫を噛む。双方の戦力が弱体化すれば、マサシ、リョウマ両陣営が漁夫の利を狙うこと、これもまた必至」

「ふむ……」

 オオコシが腕を組んで考えたのは、作戦を吟味しているからではない、とケンタロウは思った。むしろ、分からない問題を与えられた学童の行為に近しい。

「スエナガ、お主はどう思う?」

 オオコシはスエナガに話を振った。スエナガの目が大きく見開き、議論の間の居眠りを証明した。

「……は、当然ながら侵攻策を取るべきかと」

 オオコシの目が輝く。待っていた返答を貰った君主の顔であった。オオコシは運命論者であった、と、後にケンタロウは回想する。

「え、あ、はい。オオコシ様が天下を統一するのは天命で御座います。であるからして、将来玉座につく者が負けるはずは無いのです。おまけに、ヒカル殿のようにわざわざ敵陣に知らせる必要もありません」

 ケンタロウ、その他大勢のオオコシ陣営武官、文官はスエナガを毛嫌いしていた。口だけは達者で、まるでオオコシの宣伝広告の為に生まれてきたような男である。その口で一都市を任されていることを考えれば、それも才能と言えなくも無いのだが──。とにかく指導者としては一般人にも劣るのではないかといわれている。

 そもそも、この場に居る者の中でまともな戦略を立てられる者がケンタロウ一人という事実に、彼自身は閉口していた。軍事国家といわれるオオコシ陣営は、人材に関して敵国の随一を許さなかった──無論、悪い意味で。

「スエナガの理論にも一理ある。皆の者、国へ散らばり侵攻の用意を行え!ここに集まるのは……」

「大王!」ケンタロウの声がオオコシの大演説を遮った。

「近年の軍事力の急増は目に見えるものがあり、既にマサシ、リョウマ両陣営に忍び込んだ我が配下からは、『オオコシ軍警戒体制』との報が届いております。それを最も隣接したタモ大王のみが気付かない、ということがありますでしょうか。我々の先頭準備期間中に、たとえ無駄になるとしても、説得のために勧告を出すべきでしょう」

 オオコシは目を見開いた。

「馬鹿な、隠したつもりだったのだが……」

「ですから、たとえタモ陣営が受け付けないにしろ、勧告は下すべきでしょう。先ほどのスエナガ将軍の論理を用いれば、我々は負けるはずが無いのです、たとえ相手に臨戦体制を敷かれようとも」

 この一言で、完全に彼の君主とその幕僚は黙り込んだ。結果として、4ヵ月後の4番国への集合、タモ陣営への勧告が決定された。そして、4ヵ月後の今日、出陣の儀に至るのである。

 

「全く、重い荷を背負ったものだ」

 やれやれ、という顔でケンタロウが言い放った。出陣の儀式も終わり、彼は外で酔いを覚ましているのである。近くにスエナガという見苦しい者がいたが、それは気にする必要も無かった。正確には気にするだけの余裕が無かったのである。

 明日からはついに親征が始まる。ケンタロウはその一番手を任されていた。オオコシ陣営手勢5400の兵力の内、2400を率いての進軍である。オオコシの勧告を蹴った──当然、オオコシは怒り狂った──タモ陣営を完膚なきまでに叩き潰さなければならなかった。

 しかし、タモ陣営にはキュウイという名将がいる。果たして2倍以上の兵力を用意したところで勝てるものか……。彼の不安は尽きなかった。隣でスエナガがボンヤリした顔を月に向けているのを見ると、悩みの無いスエナガが無性に腹立たしくなってくる。ケンタロウはスエナガとキュウイを交換してくれないだろうか……と、ほんの一瞬だが妄想した。しかし、その妄想は一瞬にして霧散し、変わりに現実的な代案が頭を占領した。

「寝るか……」

 将軍用の宿舎に向かい、ケンタロウは一人独語した。ついでに、ヘウに声をかけた。

「明日は早い。寝るぞ」

 しかし、ヘウは動かない。

「どうしたのだ?」

「申し上げます。この者、いかが致しましょう?」

 ヘウは酒気を吐き出しながら眠っているスエナガを指差した。

「捨てておけ、死んでも特に問題あるまい」

 二人は宿舎へと向かって行った。


執筆日 (2004,01,19)


進む

「乱」TOPへ戻る

TOPに戻る