自伝〜第六回公式杯に至るまで〜

 これは、管理者が第六回公式杯を開催するまで、どのような奇跡を辿ったか、やや推測雑じりに書き表した自伝です。

 興味の無い人はさっさと立ち去るのが得策だと思われます……。

 

1、出会い

 恐らくは1999年、若しくは2000年の夏──。

 たった一本のゲームが、只の怠惰で不健康な悪ガキであった僕の人生に劇的な変化を及ぼした。

 あるいは、もっと前から話そう。

 当時の僕は、面白そうなフリーウェアを探していた。滅多に外で遊ばず、金も無い子供がインターネット環境を与えられたら一体どのような変化を及ぼすか、という好例であったと思われる。

 そんなある日、ダービーマウちゅうという育成ゲームを、僕は発見する。謳い文句は「じっくり考えてチュウと呼ばれる競争用ねずみの配合をし、きっちりと鍛え上げ、レースでの勝利を目指すのが目的です。オンラインフリーウェアとは思えない完成度と奥の深さ。」

 天啓降臨

 今と比較しても相当知能指数が低かったであろう僕が、このような謳い文句に飛びつかないわけが無いのである。これを見た瞬間、DLは決定済みの問題となった。

 ただ、当時推定12歳前後であったであろう悪ガキは、馬といえばオグリキャップ程度の競馬知識しか持ち合わせていなかった。当然ながら、当時の理解力では「高度」の域に分類される「クロス」等が理解できるはずも無く、マニュアルで「良血」と書かれている父チュウを掛け合わせて、それで終わり、なのである。

 結局、SSランクレースで一度もカイザーに勝つことなく、僕の「マウちゅう1」は幕を閉じたのである。「やはり、フリーウェアはつまらない」と、その夏僕は結論付けたのである。

 悪ガキには、予想できるはずも無かった。この夏から経過すること幾月、再びマウちゅうに熱を上げる自分など……。

2、再熱

 恐らく2000年(詳細不明)──僕にとっての第二波がやって来た、つまり再びマウちゅう熱がfeverしたのである。

 ダービーマウちゅう生みの親、Sky氏によってダービーマウちゅう2リリースされたのが、恐らくはその原因だったのだろう。謳い文句に誘われ、DL。しばらくは前作どおりつまらない配合を繰り返し、消したりDLしたり、を繰り返していた。

 とにかくインブリードさえよく分からなかったのである。解説を見ても、当時のぺけぺけ頭では理解不能。(←今でもさほど変化無し……w)性格には、全容を掴みきれなかったと言うべきであろうか。

 だが、同じ失敗は三度か四度しか繰り返さない(いや、自慢にならない……)僕のことである。この頃は波に乗っていた。勿論海に遊びに行ったわけではなく、マウちゅうの配合を考えることに楽しみを見出したのである。

 ぺけぺけな頭脳からなけなしの知恵を搾り出した結果、マルゼンチュキー系の配合を繰り返し、カイザーと互角に渡り合える程度のチュウを誕生させることは出来るようになったのである。これは大いなる進歩といえる……ハズ。

 友人M(たまに戯言に出てくる友人Mのことではない)にマウちゅうを紹介したりと、広報活動にも熱心だったのがこの頃であった。

 

3、感動

2000年秋〜冬。爆発の発見。

 2000年秋。僕にとって、マウちゅうというものが劇的に進歩したのがこの時期である。チュウジョージというチュウの血統内に、このHPでも紹介されているが、チュボーというチュウを発見したのだ。

チュボー「爆発的な素質」

 何とまあ好奇心をくすぐる響きだろうか!。僕は試しに配合を考えてみた。結果、想像されたチュウの名前はジョージア。(その頃缶コーヒーが好きだったんで……。チュウジョージを使ったのも理由ですが)

 Dランクタイム1,41

 しばらく、画面を見る目の焦点が合わなかった。心臓以外はその働きを止めていたに違いない。あまりの速さに驚いて声が出なかった。喩えるならば、隕石が庭に落ちてきた時のような衝撃だった。もちろん、僕は即座に育成を開始。SSランクレースも常勝、これは強い。SSランクに出し続け、白星を大量に生産する。12月第3週、当然ながらSランクレースのあるこの愁は調教する予定だった。しかし、突如SSランクレースが目の前にあらわれたのである。

 そう、「sky記念」。

 目が点になっていた僕は、試しに出走してみることにした。ミッドナイトスカイ、フライングジハード、フレイムマキシマム、シャイニングセカンド……見慣れぬチュウの名前が沢山あるじゃないですか……しかもナンデスカ、この強さは……アナタ、コンナカクシダマヲヨウイシテイタノデスネ……。しかもそのいずれも格段に強く、カイザーなど比べ物にならなかった。

 結果は6着。このことが、僕のダービーマウちゅう全レース完全制覇の夢を後押しする原動力となったのは、疑いようもない事実なのである……。

 

4、闘志よ燃えろ!

2000年冬

 ジョージアの衝撃からしばらくの時が経過したが、僕はその時点でジョージアを超えるチュウを生産することに成功していなかった。そんな折、友人Mからプライベートレースのオファーが来たのである。

 手加減と言いつつジョージア抜きで勝負を挑んだところ……僕は敗北の二文字に、圧倒的インパクトを持って襲撃されるところとなった。そう、回りくどい言い方をすると、負けたのである。但し、ジョージアがいれば勝利を収めていただろうということも確実であったのだが。

 友人に追いつかれる事を危惧した僕は、ひたすら強いチュウを生産する事に走る。そして、何も出来ぬまま大晦日の夜を迎えることとなった。その夜が運命の夜だとも知らずに……。

 

5、運命の配合ー2000年最後の奇跡

 行く年来る年を見終わった僕は、あとわずかで到来する2001年に思いを馳せながら、同時に頭の中でダービーマウちゅう2の配合を考えていた。(←器用な奴……)

 その日はえるさんのページで見た「ただ、1つ言える事は、シルバーの方を持っているチュウは、2匹ともシルバーに非常に近いため、使い方次第では、チュボーよりも強いチュウが出きるだろう。」という文が気になり、シルバーチュウクを使った配合を考えていた。数学の解答を必死になって探す中学生を思わせる行動であった。

……そして……

 天啓再び

 詳しくは配合理論集のmati式配合理論を参照いただきたい。翌日、試しに配合を実行に移したところ、ジョージアを遥かに凌駕する、Dランクタイム1,36のチュウが誕生した。

 そのチュウは全戦全勝し、ついにSky記念も制覇。その時の僕は、複素数平面を発見したガウスよりも深い感動を味わっていたのかもしれない。何しろ、衝動的に初詣に行ったくらいなのだから(笑)

 その翌日、↑のチュウと比較すれば劣るものの、初代アロが誕生。追込に全てを賭けたチュウで、Sky記念制覇は厳しいかと思っていた。なのに制覇しやがったwお前、一体どんな根性してるんだ?第四コーナーを先頭で曲がったミッドナイトスカイが、ゴールと第四コーナーのちょうど中間地点にいる時、アロは第四コーナーをカーブ。そこで末脚大爆発ミッドナイトスカイを交わし、先頭でゴールしてしまった。もちろん、このチュウも全戦全勝で華々しい最後を飾ったのである。

 こうして、「僕の一番好きな脚質=追込」が決定したのである。

 

 その後、幾度となく配合を考えては捨て、考えては捨てながら、ついにタイキシャーロッチュを使ったmati式配合を完成し、現在のアロが誕生したのである。

 そのDランクタイム、1,27……このときもやはり震えていた。伝説が崩され、新たな伝説が築かれる度に、人は震えるものである(……ホンマかいな)

 

6、第四回GCS

 いつの頃、という明確な記憶はない。しかし、アロ誕生以前に「GCS(G=グランド C=チャンピオン S=シップ)」という大会が開かれたのは確かなことである。このレースはダービーマウちゅう2最後の公式戦として、Sky氏が企画したものである。当時の(今でも、かな…?)最強チュウスーパートップ等、各オーナー達の分身とも言える素晴らしいちゅうたちが集った。

 そして、自分の弱さを思い知らされた。

 別に参加したわけではないが、レースの結果を見て、この世の中には別世界が存在することを知ったのである。

 試しに決勝戦に残ったちゅう達と走らせてみたところ、アロがぎりぎりのところで7着に入るくらいであった。(スーパートップを抜いて、代わりにアロを入れてみました)。やはり全国レベルは格が違う!!

 樹立した世界記録を数日で塗り替えられた高橋尚子選手のように、当時の僕も自分の価値観を数日で更新されたのである。

 

7、そして、マウちゅうは巡る

 このように、僕の中学時代の前半はマウちゅう漬けで過ぎ去ったわけであるが、その後はどうだっただろう?中学時代後半は、言うに及ばぬ受験の時代。僕にとっても例外ではなく、マウちゅうは開店休業状態であった。つまり、細々としかやっていなかったのである。

 受験も終わり、中学生なのか高校生なのか分からなくなった頃、僕のマウちゅう熱は再熱。再起したのである。ほとんど衝動に駆られて、この競鼠場をオープンさせるに至った。

 第一回公式杯、第二回公式杯と、次々と現れる強豪。(特に第二回のインパクトは強かったです^^;)第三回、第四回と続き、ここでマウちゅうは極められたかとさえ思われた。事実として、2004年1月17日現在、僕はマウちゅうの謎をかなりの数に渡り、解明してきたつもりである。マウちゅうバージョン2,06のリリースなど、革命的な出来事も多々あった。

 しかし、僕のマウちゅうに対する情熱、愛は未だに失われてはいない。事実、今でもあらゆる新事実が発覚し、マウちゅうの世界は深く掘り下げられている。

 これからも、今まで以上にマウちゅうをやり込むであろう。

 それから、この自伝を読み、マウちゅう熱が高まった方の中で、仮に「未だまうチュウを持っていない」という方がいらっしゃるなら、即座にマウちゅう2のDLと、ダービーマウちゅうOWNER2へのOWNER登録をオススメする次第である。

mati・2004/01/17(大幅に加筆修整)


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